製造業の在庫過多は工程設計力の不足と思えるかが重要。

ものづくりの企業コンサルタントとものづくり業務向け情報システム企画提案と独自の情報システム開発販売をこれまで行なってきた。この中で、学んだことやわかったことを紹介します。

 その中で、在庫削減の依頼も多くあった。それも在庫管理システムを稼働させながら、在庫が減らないという話が多い。一瞬、あれっと思うのは私だけではあるまい。在庫の数を数える機能しかなく、在庫削減の仕事は人間が着眼点を見つけて行なっているのである。

 そもそも、コンピュータに登録されているデータは正しいのかという質問を投げかけると、残念ながら、不安な表情をするだけであった。販売見込みに対して、発注し、部品や素材を受入し、倉庫に保管、生産工程に運搬、次の工程に運搬、検査、手直し、出荷、搬出場へ運搬といった流れで製品を生産しているのが基本である。

 仮に、以上の流れが一つの工場内で行われているとしよう。工場内に、いつ、どの場所に、いくつ、どんな部品や材料があったのかを知る必要がある。しかし、それを把握できる仕組みは備わっていないことが多い。それも、加工を通じて2つの部品が1つになることもあるだろう。

 このようなことはすぐに不可能であるために、定点観測して在庫数をカウントしている。ある1日の稼働終了後、工場に入った部品数と出荷した製品数とから、部品表を元にして、製品に使われた部品の数を計算する。工場に納入されたそれぞれの部品数とこれらを部品単位に比較すると、製品になっていない仕掛り部品数が求められる。

 これらの仕掛り部品は、加工機にセットされているものもあれば、その前後の搬送、運搬設備の上に載っているものもある。また、機械の横で、人がハンドリングする台の上に載っていたり、その前にパレットなどに入れられて、使用を待っている部品がある。更に、その加工ラインから離れて場所に、一時的に部品が置かれていたり、倉庫の棚に入っているものもある。

 このようなものを仮に、仕掛り在庫と呼ぶとして、この工場には日当たりどのような頻度で部品が納入されてくるかを知らなければならない。部品によっては納入ロットサイズや納入頻度も納入量も異なるものである。

 すると翌日1日分を生産するために必要な部品別の必要量から、仕掛り在庫を減算し、更に1日分の納入予定数を減算した結果が余分な仕掛り在庫数になる。

 日当たりの生産量にもよるが、生産量が多ければ多いほど、上記のような計算ができなくなるのである。それは、工場が広く毎日、稼働終了後に部品全点の仕掛り在庫を歩き回って調査することはできないからである。

 できないから、調査をしないと言う事であるならば、なぜ在庫削減をしたいと思ったのだろうか。売り上げにすぐにならない部品や材料を購入してキャッシュアウトが目立つからだ。

その仕掛り在庫が数日で減るのか増えるのかも不安な販売予測の不確かさもある。一方で、在庫を抱えて過ぎていては心配である。スリムな体質での生産が必要だと思うのである。

 在庫はいろいろな要素から発生する。仕掛り在庫の発生場所で、それぞれ、計画のミス、実行上のミス、加工の不良、納入時の部品不良、手直し時の交換、無駄な生産ライン上のバッファ、欠品による生産計画の修正による保留品などである。

 これらの仕掛り在庫を把握するには、その時に理由を知る必要がある。その理由を知ると、更になぜそのようなことが起こるのかという疑問が湧く。その疑問は、結局は、直接、ものの加工を行う現場にではなく、そもそも製品の設計や設備の計画や販売に対する生産計画の問題になるのである。

 ここまでの追及をすることなく、在庫が多いという問題を現場だけで解決しようとしても無駄である。となると在庫管理システムは一体どのような方向に進むべきかが分かると思う。在庫管理とは、結果の数を数えるものではない。


もっと、ものづくりの全ての知識を集合して、コントロールできるようにならなければならない。結局はものづくりの工程設計力によるものだ。

製造業には設計の意図が記録できるDXが必要とされている

首里城のデジタル復元のTVを見た。この城はこれまでにも戦争などで何回も焼失してきた事を初めて知った。この重要な建築物を復元したことのある経験者が健在で本当に良かったと思う。

 焼け残った物から分かる真実もあるが、多くが、写真や文書などを頼りにせざるを得ないとの事であった。漆の繊細な装飾模様も、写真から観察し、製作の工法を推定するという復元方法とのこと。

 写真さえ残っていれば何とかなる物だと思ったが、屋内の間取りや柱の位置が写真だけでは分からない問題が発生した。たまたま、資料館に間取り図があり、加えて塗装色やその描き方、柱ピッチまで記載されていた事により復元のための設計ができた。写真だけでは不十分だと分かった。

 漆の装飾も屋内の間取りの復元も、その技法や詳細図が無かったら、どんなに困難であったろうかと考え、今日のデジタル化の時代では、このような文書による製造プロセスの記録がどのようになされているかが心配になる。そもそも、CADなどで設計作図されているから大丈夫ということなのだろか。

 それだけでは不十分だろう。見て分かる事だけしか分からない。寸法は見れば分かる。なぜ、その寸法にしたのかは分からない。デジタルになっても、背景や意図、どのような加工法であるかなどは、そのつもりでないと記録されないだろう。

 更に、デジタルになった場合には、その設計図などは、どこに保存されるのだろうか?会社のサーバとなってしまうと思う。昔ならば、何冊かが印刷されて、その一部がどこか別々に保存され、それを探し出して、重要なものは資料館に保存されたのである。

 デジタルになったら、どのように公的な保管場所に保存するかを決めておかないといけない様に思う。また、保存には、意図や背景が分かる文書データも一緒に提出するように規定すべきだと思う。元のデジタルデータが消去された場合には、万が一の場合は大変困る事になるのではと老婆心ながら思った。

デジタル社会では知識や情報の公開と記録の方法には同一化が必要ではないか?

新コロナを始めとする大きな課題がはっきりとしている。年末年始のニュースを見ていると他にも、環境問題、尖閣諸島周囲の中国船の侵入(含む東シナ海での中国の独断的行動)、などであろう。環境問題議論はコロナで活動が閉じ込められている。中国船の件は人の話しあいでかい解決できる。だから世界の緊急課題はコロナである。

 このコロナについて、情報が蓄積型で公開されていない。海外の取組、成果なども庶民に正確に公開されていないように思う。このような新しい事象については、誰でも理解できるように他国との横並び比較で、日本の施策を説明して欲しい。

 断片的なことだけの情報をずっと続けて出されているように思う。例えば、比較して分析ができていないことはどのような事であり、その事をいつまでに誰が分析結果を報告する予定なのかも不明。それをネットに公開して欲しい。

 感染研究者によって意見が異なっている。その意見はどのような分析からのものであるのかの説明もなく電波にのるのは好ましくない。定量的に述べて欲しい。これらの意見は国がまとめているのではないか。国の説明が体系的に述べられていないのでは、理解できなくなってしまう。

 科学の進歩したこの国の議論は公開の仕方が下手である。自由につぶやくというやり方で周知が結集するとは思えない。うわさを流されても困る。何がどこまで分かってきたのか、だから今はこの仮説によって具体的な対策をこのように進めている。そして、その結果は何日後に明確になる。その結果から対策を次はこのように変更するというやり方と説明を誰でも分かるように公開掲示して欲しいものだ。その事に基づいて、意見を言えば良いのではなかろうか。

 このようなことは、そもそも知識の記録の方式が定まっていない事にある。想定される感染拡大要因、対策と結果、事業者への影響、予算実績、感染者の属性、治療内容、医師看護師の属性など変化する項目を常に修正追加しながら、データと共に全体像を可視化しなければいけない。国民の協力を得るには、掌握している全情報を分かりやすく掲示して、共有することがまず必要なのではないかと思う。

 表面的な感染者数だけを追いかけても対策とリンクした説明にロジカル性が不足する。過去の感染を、遅れてカウントしていては後手になる。毎日、特定地域の全員を検査し続ける。発見した陽性者を隔離する。これを2週間続けてたら何かわかってくるのでは?などなど、分析できるためのサンプリングの仕方もアイデアはないのだろうか?

ポジティブな考え事をしながら睡眠をとる習慣に

正月に見る初夢。このところめっきりと夢を見なくなった。と言うよりも覚えていないのかも知れない。

 そう言えば、7、8年前に特別な夢を見た。それは見た夢の続きを数ヶ月後に見たのである。内容はある程度覚えているが、ここで紹介するには不適切なので説明はやめておく。ただ、恐ろしい夢だった。

 今日は1月2日。昨夜はいわゆる初夢を見なかった。睡眠中の脳は、今まで見聞きした情報の整理をしているらしい。 その人の記憶を家族、友達、小学校、などの分類に整理される。ただし、この分類は万人に理解されないといけない。この分類された記憶を引っ張り出したりまとめたりする過程を脳の中で再生しているのが夢ということらしい。 情報はストーリー的に記録されなければゴミのようになるのだろう。

 自分が見聞きしたこと・体験したことが断片的に出てくるだけではなく、自分の体験以外のことも夢に出てくるのである。そうでなければ、あの恐ろしい夢を見るわけがない。しかし、体験しないことも夢に構成されるならば、このことを利用して創造的な思考に使えないだろうかと思ったりもする。

 人は一晩で数個の夢を見ている。しかし記憶するための物質が分泌が少なくて夢は記憶されにくい。私は眠る前に、いつも解決したいことを考える事にしている。と言うより、考えていないと眠れないというのが正確だ。その結果、何らかのアイデアや方法のヒントを見つけるようなことができている。かなり寝不足なのかも知れないが、4時間くらいは寝ている。

 企業へのコンサルで問題解決の方向を討議していると、ネガティブな人に会うことが多い。解決したいかどうかではなく、自分たちがその解決に参加したくないように見受けられる。
ネガティブなことを考えて寝ると、あまり夢見も良くないらしい。やめた方が睡眠のためにも良いだろう。

 問題解決がネガティブ指向な人は、睡眠中に解決策を考えてみると良い。
ポジティブな感情であれば、活性化し、さまざまな角度から問題解決の糸口に気づく事ができるからである。

 夢は記憶の整理、取捨選択、をする機能と言われている。不必要な情報は捨てられるのだろう。ゆえに、興味の無いことは、一晩経つと覚えていないのである。
 一方で、寝る前に覚えたことは記憶に残る。明日試験があるならば、記憶の必要なことは寝る直前に暗記すると良い。

 ポジティブなことを考えながら眠ること。
夢の中で、問題が解決できたり、アイデアが浮かんだりするといい。
ポールマッカートニーがイエスタデイを夢で聴いたように。

ナレッジネットワークを夢ではなく現実にしたい

今年は未来に向かってシナリオが描ける年にしたいと思います。昨年は、世の中に存在していた隠れた問題が顕在化した年でありました。そして、個人、地域、企業、社会、世界それぞれにおいても課題を認識したのではないかと思います。

 それに対して、役割を持った人が新年のあいさつの中で、自らの言葉で未来に向けて夢や責任を思い、発したと思います。今年は社会の方向を一気に転じることが必要だと思っています。安全、平和、安心、平等でないこと、それを阻む仕組み、おかしなこだわりなど複雑な関係性が、解決を困難にしている。

 基本的問題と派生的問題の切り分け、優先順序の明確化と責任ある宣言と共有が行われる必要があります。複雑だと言うのではなく、単純化した話をする必要があると思います。共感できる話は単純化した本質的な言葉が必要です。

 右向け右ではなく、論理的に説明する能力がリーダーには必要です。そして真摯な態度はもっと必要な社会になっています。環境変化の見込み違いもあり得るとして、軌道を修正して衛星のように目標に到達させなければいけません。それには個の集合としてのチームワークが存在していないと何も進める事ができないということになります。

 企業で言えば、個の社員を歯車や道具のようにしか考えていない事が少しでもあるのならば、それを転換しなければいけない、それを行えるチャンスのある1年だと思います。

 私達の社会は、グローバル化し、同時に孤立化しているようです。話し合えば分かることもメールで済ませてしまうような事では、課題は解決することなく、不愉快さが消えません。

コミュニケーションはデジタル上では倫理意識が弱まる場合があります。リアルな対面のコミュニケーションと使い分けることができなければいけないと思います。

薄い発言が分断を生み、個人が発言を控えるようなことでは、日本のチームワークは発揮できないのではないでしょうか。

 新年のあいさつを期待して聞きながら、どうも違うなと思った方は、しっかりと発言し、良い社会に向かっていくようにしましょう。

 商業主義でないグローバルな知識の集合が進み出す夢(ナレッジネットワーク)を描いて、今年も、考えていることを書き続けていきます。皆様にとりまして、本年もハッピーな一年になりますように祈念しております。