知恵を出せる人は継続的にメモの蓄積する習慣を持っている

知恵を出せと言われ、いきなり何をしたら良く分からなくなる時があると思います。

 これはどのようにその言葉を受けとるかによって、思いの方向が変わるのです。

 出せと言われても、と考えたら、そこで思考は停止してしまいます。

 何かを絞り出さないといけないと思うことが、今後の生き方を変える事になるでしょう。

 今の時代はインターネットがあるので、検索すると本当に多くの情報が登場してきます。

 知恵を出す際に、求められていることは、新しいアイデアや考え方であろうと思います。

 インターネット上の情報は求めれている知恵を考える事に役立つものはあると思いますが、期待されている知恵に値する答えではないのです。

 社員がインターネットの調査結果を羅列して報告してきた事があります。

 本当にガッカリした事を覚えています。インターネット上の情報を提示されたことは、その文体や用いている言葉づかいや考える幅、深さなどですぐ分かってしまうものです。

 そもそも、上司もインターネットを検索していると考えれば、そのような行為が行われる事は不思議でならないですね。

 昔は図書館で調べるしか方法はなく、あとは人に聞くことの方法しかありませんでした。

 その結果、得られた情報だけで求められた知恵の答えではないことは容易に承知しているので、自分なりの考えを見つけるしかない。

 仕事でも生活においても、インターネット上には、解決したいことと全く同じことは載っていないのです。

 そのくらいに、世の中の発生する問題や解決したい課題は種類も大小も合わせて無尽蔵にある。しかも、それらは次から次へと新たなことが生まれてくるのです。

 法律や規則などとは違って、その様に通りいっぺんに決めれられないことばかりです。

 そのためには、知恵を出せる様に準備しておくことが必要で、メモを書くことを進めたい。

 いろいろな事象について、自分の考えを思いつくままメモにしておく。

 私は会社を辞めてからの15年間のメモを保有していますが、それを、時々、振り返って読むことを楽しんでいます。

 昔のメモに書いてあることが未だに解決していないことも多くあります。人がいる限り、考える対象のネタは尽きないのである。

 インターネットでの検索だけでは、知恵が出せる頭を鍛えることはできないのです。知恵は自分の獲得した知識の組み合わせから生むしかないのです。

 それは、一瞬にして思いついた事であっても、その前に、いろいろなことを考えた結果として異なる角度からいっぱい発想したことの成果であると考えています。

製造業の体系的な知識の文書化は企業の中でも進んでいない

人と合意をすることは難しいことだと思います。

 企業の中や企業間、広くは社会の中で、方針や現状認識をの際に、合意にものすごく時間が掛かっていると思います。

 合意は相手が少ないほど容易でありますが、合意相手がどんな関係であるかにより困難さが違います。

 合意相手との関係性を良く見極めて合意に持ち込むプロセスを考えておかなければいけません。

合意するコミュニケーション手段と保有するものづくり知識の共有基盤が備わっていなければ調査検討ばかりに工数が掛かってしまいます。

 インターネットの時代となり、誰もが同じ情報を得ることで、かえって合意が難しくなったように思います。

 かつては双方が知っている範囲の中で、合意の内容を話し合えば良かった。

 それが、より広い範囲の情報を容易に入手することができるようになり、検討の範囲や複雑さを増しています。

 このような時は、自分の思っていることや、考えていることをまとめて一度に説明をし合うことが大切だと思います。

 以前のように、双方の視点や考えるのポイントだけの調整では結論が出ないことが増えていくのです。

 社内においても同様で、経験の異なる相手、現場経験や十分な教育を受けていない人とも、話し合いをすることが増えたと思います。

 メールで送付したので読んでくださいとか、サーバーのファイル置場を知らせるだけで、相手は自分と同じ理解をしてくれたとの思い込みがあるようです。

 これからは、体系的に整理された文書が必要で、その能力を持たなければ、打ち合わせばかり増えてしまうのではないでしょうか?

 体系的整理は、訓練が必要です。日頃から分類を気にする必要があります。

 体系的な整理した文書を作成する事ができなければ、断片的な議論が続き、全体としてどのような結論にすべきかが上司も判断できなくなってしまうでしょう。

 例えば、新コロナの問題はこのような体系的整理がなされているとは思えません。

 このような感染症を例にしたくは無いのですが、もっと小さな問題でも、新コロナの議論のような断片的な意見を言って終わっていないかと冷静になる必要があります。

 自分の保有する知識を整理して、更に外部の知識を加えて、体系化した説明をするように心掛けたいと思います。

 このような体系化した文書は、インターネットの中には存在しないと思います。

 これが、インターネットから情報を知識化する課題であり、AIでも難しく、人が意識してまとめ上げる必要があります。

製造業には設計の意図が記録できるDXが必要とされている

首里城のデジタル復元のTVを見た。この城はこれまでにも戦争などで何回も焼失してきた事を初めて知った。この重要な建築物を復元したことのある経験者が健在で本当に良かったと思う。

 焼け残った物から分かる真実もあるが、多くが、写真や文書などを頼りにせざるを得ないとの事であった。漆の繊細な装飾模様も、写真から観察し、製作の工法を推定するという復元方法とのこと。

 写真さえ残っていれば何とかなる物だと思ったが、屋内の間取りや柱の位置が写真だけでは分からない問題が発生した。たまたま、資料館に間取り図があり、加えて塗装色やその描き方、柱ピッチまで記載されていた事により復元のための設計ができた。写真だけでは不十分だと分かった。

 漆の装飾も屋内の間取りの復元も、その技法や詳細図が無かったら、どんなに困難であったろうかと考え、今日のデジタル化の時代では、このような文書による製造プロセスの記録がどのようになされているかが心配になる。そもそも、CADなどで設計作図されているから大丈夫ということなのだろか。

 それだけでは不十分だろう。見て分かる事だけしか分からない。寸法は見れば分かる。なぜ、その寸法にしたのかは分からない。デジタルになっても、背景や意図、どのような加工法であるかなどは、そのつもりでないと記録されないだろう。

 更に、デジタルになった場合には、その設計図などは、どこに保存されるのだろうか?会社のサーバとなってしまうと思う。昔ならば、何冊かが印刷されて、その一部がどこか別々に保存され、それを探し出して、重要なものは資料館に保存されたのである。

 デジタルになったら、どのように公的な保管場所に保存するかを決めておかないといけない様に思う。また、保存には、意図や背景が分かる文書データも一緒に提出するように規定すべきだと思う。元のデジタルデータが消去された場合には、万が一の場合は大変困る事になるのではと老婆心ながら思った。

デジタル社会では知識や情報の公開と記録の方法には同一化が必要ではないか?

新コロナを始めとする大きな課題がはっきりとしている。年末年始のニュースを見ていると他にも、環境問題、尖閣諸島周囲の中国船の侵入(含む東シナ海での中国の独断的行動)、などであろう。環境問題議論はコロナで活動が閉じ込められている。中国船の件は人の話しあいでかい解決できる。だから世界の緊急課題はコロナである。

 このコロナについて、情報が蓄積型で公開されていない。海外の取組、成果なども庶民に正確に公開されていないように思う。このような新しい事象については、誰でも理解できるように他国との横並び比較で、日本の施策を説明して欲しい。

 断片的なことだけの情報をずっと続けて出されているように思う。例えば、比較して分析ができていないことはどのような事であり、その事をいつまでに誰が分析結果を報告する予定なのかも不明。それをネットに公開して欲しい。

 感染研究者によって意見が異なっている。その意見はどのような分析からのものであるのかの説明もなく電波にのるのは好ましくない。定量的に述べて欲しい。これらの意見は国がまとめているのではないか。国の説明が体系的に述べられていないのでは、理解できなくなってしまう。

 科学の進歩したこの国の議論は公開の仕方が下手である。自由につぶやくというやり方で周知が結集するとは思えない。うわさを流されても困る。何がどこまで分かってきたのか、だから今はこの仮説によって具体的な対策をこのように進めている。そして、その結果は何日後に明確になる。その結果から対策を次はこのように変更するというやり方と説明を誰でも分かるように公開掲示して欲しいものだ。その事に基づいて、意見を言えば良いのではなかろうか。

 このようなことは、そもそも知識の記録の方式が定まっていない事にある。想定される感染拡大要因、対策と結果、事業者への影響、予算実績、感染者の属性、治療内容、医師看護師の属性など変化する項目を常に修正追加しながら、データと共に全体像を可視化しなければいけない。国民の協力を得るには、掌握している全情報を分かりやすく掲示して、共有することがまず必要なのではないかと思う。

 表面的な感染者数だけを追いかけても対策とリンクした説明にロジカル性が不足する。過去の感染を、遅れてカウントしていては後手になる。毎日、特定地域の全員を検査し続ける。発見した陽性者を隔離する。これを2週間続けてたら何かわかってくるのでは?などなど、分析できるためのサンプリングの仕方もアイデアはないのだろうか?

ポジティブな考え事をしながら睡眠をとる習慣に

正月に見る初夢。このところめっきりと夢を見なくなった。と言うよりも覚えていないのかも知れない。

 そう言えば、7、8年前に特別な夢を見た。それは見た夢の続きを数ヶ月後に見たのである。内容はある程度覚えているが、ここで紹介するには不適切なので説明はやめておく。ただ、恐ろしい夢だった。

 今日は1月2日。昨夜はいわゆる初夢を見なかった。睡眠中の脳は、今まで見聞きした情報の整理をしているらしい。 その人の記憶を家族、友達、小学校、などの分類に整理される。ただし、この分類は万人に理解されないといけない。この分類された記憶を引っ張り出したりまとめたりする過程を脳の中で再生しているのが夢ということらしい。 情報はストーリー的に記録されなければゴミのようになるのだろう。

 自分が見聞きしたこと・体験したことが断片的に出てくるだけではなく、自分の体験以外のことも夢に出てくるのである。そうでなければ、あの恐ろしい夢を見るわけがない。しかし、体験しないことも夢に構成されるならば、このことを利用して創造的な思考に使えないだろうかと思ったりもする。

 人は一晩で数個の夢を見ている。しかし記憶するための物質が分泌が少なくて夢は記憶されにくい。私は眠る前に、いつも解決したいことを考える事にしている。と言うより、考えていないと眠れないというのが正確だ。その結果、何らかのアイデアや方法のヒントを見つけるようなことができている。かなり寝不足なのかも知れないが、4時間くらいは寝ている。

 企業へのコンサルで問題解決の方向を討議していると、ネガティブな人に会うことが多い。解決したいかどうかではなく、自分たちがその解決に参加したくないように見受けられる。
ネガティブなことを考えて寝ると、あまり夢見も良くないらしい。やめた方が睡眠のためにも良いだろう。

 問題解決がネガティブ指向な人は、睡眠中に解決策を考えてみると良い。
ポジティブな感情であれば、活性化し、さまざまな角度から問題解決の糸口に気づく事ができるからである。

 夢は記憶の整理、取捨選択、をする機能と言われている。不必要な情報は捨てられるのだろう。ゆえに、興味の無いことは、一晩経つと覚えていないのである。
 一方で、寝る前に覚えたことは記憶に残る。明日試験があるならば、記憶の必要なことは寝る直前に暗記すると良い。

 ポジティブなことを考えながら眠ること。
夢の中で、問題が解決できたり、アイデアが浮かんだりするといい。
ポールマッカートニーがイエスタデイを夢で聴いたように。