テレワーク推進を契機に働き方の改革として基本的に考えるべきこと

テレワークを70%目標との要請があります。もしこれが達成できるとしたら大変良いことだと思っています。

 企業の70%の社員は、自分だけで仕事ができるということです。

 もちろん、ネットでのでコミュニケーションは行うとしても、無駄な時間を割くことがなくなると思います。

 自宅で仕事の納期を守りながら、時間を自分の管理下に置くことができるからです。

 刻々と進む時間を自分で自由に使えることは、人が生きていくことで重要な要素になります。

 この自由な時間をテレワークで与えられてる事になったのです。

 あとは、自分の能力を高める努力をするだけです。これは本質的に会社に勤めていても、いなくても必要なことです。

 ここでの課題は個人個人が考えたこと、つまり検討データをテレワーク環境ではどこに保存すべきかということです。

 テレワークの場合もそうでない場合でも、自分の考えたことや知り得たことを自身のPCに保存することが多いのではないでしょうか?

 企業内のネットワークに自宅から接続できる環境であれば、引き続き企業のサーバに結果データだけは蓄積されますが、個人の検討データは個人PCに保存される事が多いでしょう。

 結局は自身のPCに共有されないデータが蓄積されていきます。

 社外から企業の内部サーバに接続できる方法でも良いのでが、それがベストな方法とは思いません。

 少なくともクラウド上に配置されたサーバに個人の検討データを保存させなければDXの情報共有化は進んでいきません。

 テレワークをやめた途端に個人のPCデータは他者に公開されないまま個人データとして残って埋没してしまう事になります。

 セキュリティについても、クラウドサービス会社に委ねた方が安全であると思います。

 クラウドサービス会社のセキュリティ対策は、そのサービスの生命線であり専門部隊で対策を講じています。

 社内に保有した組織で、セキュリティ対策を行っても専門家の多いクラウドサービス企業以上に実行できることは難しいのでは。

 これからは閉じ籠ったシステムではなく、どこでも仕事ができるクラウドサービスが本質的な選択です。

 餅は餅屋です。お互いに検討内容を知ることのできる環境であることが開かれた働き方だと思います。

テレワークは働き方改革の基本。テレワークを実現するために何をすべきか?

新コロナの感染者が三度増加してきている。このような山を何回も越えなければいけないのか、ワクチンが効いて数年で収まってくるのか検討もつかない。少なくとも、来年も同じ危機意識で生活をしないといけないことは間違いの無いことだろう。

 人の往来が減れば、感染者は減っていくということは事実であるだろう。人が往来しなくても仕事ができるようになったら、それは、どの程度まで感染者が減るかは推定できてもおかしくないだろうが、感染者の増加予測ばかりしかし世の中には公開されていないのだろうか。

 テレワークができなくて、職場で働いていだだけないと、社会インフラが止まってしまう職業に従事している方は移動が必要だろうと思う。ならば、それ以外の職種の方は、何パーセントになるのだろうか。その人達が、しっかりとテレワークに取り組むことも、立派な社会貢献であると思う。このままでは感染者が増えるとの言い方だけではなく、このようにすると、感染者はこれだけ減るとの複数のアイデアと効果を説明してくれれば、もっと行動変容に対する皆の意識は高まると思う。

 テレワークができない理由は何だろうか。特別に顔を見なくても電話やメールで相談もできるだろうと思う。資料が会社にあることが問題なら、クラウドに置けば良い。そのコストが負担ということなら、公的に負担をすれば良い。テレワークが可能であるはずの職種なのに、テレワークができない理由は何をはっきりさせ、その課題を解決することを行う政策が見えない。企業に任せすぎているように思える。企業は企業や個人と結びついて生業ができているのであるから、一つの企業だけではテレワークができない課題を解決できないはずである。

 日本はITの活用が下手だとか、労働生産性が低いと思っているのであるから、このような動機がある時にテレワークにより生産性向上を図るべきだと思う。ハンコの押印だけがテレワークのブレーキとは思えない。もっと、見直すべき古い風習や文化が隠れている。私の知っている企業では、今でも決裁書類に20人位の押印を行なっている企業がある。ここまで押印すると、それぞれの責任はより小さな範囲となり、個人能力は成長しなくなる。大きな責任を持たせて経験させることが成長につながるはずである。失敗を恐れて、その責任を負わない風土には、このような事例が見られる。

 もう一つは、企業自ら、ユーザー自らシステム要件書が作成できないのではないか。私はものづくりのコンサルとITコンサルの両方を行なっているのでよく分かっている。いつの間にか、ものづくり企業はシステム要件を外部依存してきてしまった。まずは提案を持ってきて欲しいという話が多い。企業は自ら何をやりたいのか、それはどのようにしてできると考えているのかを文書にするべきだと思う。

 外部依存を始めると、それを受けるベンダーが増えてくる。考えないエンジニアが増えてくるだけで、企業に人は育たない。テレワークを進めたいが、実務が企業内でどのように回っているのかの文書すらない。そうであるならば、まずは、自部署を中心にして、前後工程(組織)とのインプットとアウトプットを整理することを進める。その時に自部署の役割や価値を良く考え直すことが必要と思う。以前にも述べたが、業務が単純化の方向で行われているかを自問自答することは、どんな環境下においても重要なことだと考えている。

在宅勤務でのコミュニケーションをもっと効率よくできないかと思っている人へ朗報です。CKWEB2は文書の指摘や修正指示をダイレクトに絵に書き込むことで生産性を高めることができる全く新しいコミュニケーションシステムです。

現状のコミュニケーション方法の問題とは

多分、ほとんどの人はメールでコミュニケーションを行っていると思います。チャットも同じだと思いますが、自分の考えたことを相手に伝達する際にはメールに文書などの添付ファイルを添えてやりとりされていると思います。

セキュリティ対策のために、添付ファイルをパスワード付きで圧縮して、別途、パスワードをメールで伝達するのは送る方も受け取る方も大変面倒臭いことです。

受け取った添付ファイルもテレワークの場合、どこに保存されていますか?多分、多くの人は一旦、自分のパソコンに保存しているのではないでしょうか?

自分で、そのファイルを見て、コメントする際にも、メールにコメントを書いて、特に、文書のどこのことかを引用して返信する方もいると思います。

或いは、ファイルを印刷し、その紙に手書きで、ダメ出しを記入して、それを写メして、メールで添付し、送信したりしていませんか?

このように、メールというものは、生産性が良くないと思います。

現在のファイル管理の問題は何か

私はすでに10年近くも、タイトルにあるこのようなことを考えている。それはものづくりの仕事のIT化を企業で担当してからずっとである。

これまで、本当に知識とは何か? 技術とは何か? ノウハウとは何か?に始まり、そもそも言葉とは何かや、なぜ人は物事を忘れてしまうのか?

なぜ、突然に思い出すことがあるのか?人に伝えるには文字でないと難しいのか?Youtubeのように動画になっていくのだろうか?

自分のPCに徐々に乱雑になっていくホルダーとファイルの姿を見ながら、何回も整理し直しても解決できないことに特に苛立ちを覚えながらも、みんなはどうしているのだろうかという疑問を抱いている。

結局のところ、10年前のファイルなど見ることもないからといっても、消去できないのは何故なのだろう。

それでも、本当にたまには過去に考えていたことを知りたくなることがある。その度に何時間も探しまくることを諦めれられない。

そして、やっぱり、今でも当時の課題が解決できていないことに呆れるばかり。こんなことを人間はずっと行っている。

どこかで課題の解決を諦めたのか、それとももっと重要なことに考えや仕事が移り、その思考の場所に戻れなくなってしまうのだろうかと。

人の思考スタイルに合った知識の記録方式の必要性について

今後、この記事の方向性は知識の記録方式について私が考えていることを書き続けていくことにしたい。

それは紙とえんぴつで記録していた30年前までと、今日のようにITが進歩した時代の記録方式が変化していないのは大変おかしな事であると思うからである。

IT技術に振り回されて、人の生産性は本当に高まったのだろうかと。余分な情報が見え過ぎて、気づいたら何を考えていたのかと悲しくなることが多い。人の思考スタイルになじんだ方法が必要だと考えたからである。

良かったら引き続き、一読してください。

新型コロナウイルス リモートワークの決定版

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