製造業の生産性向上の具体的対策を体系的に講義

講義の狙い


 工場の管理者は品質向上や生産性の効率化に注視しながら日常の生産ライン運営に工夫を凝らしている。工場の生産性向上はグローバル化に伴い、海外工場も重要な位置づけになっている。一方、国内工場は少子高齢化に伴う労働力の質的な低下により、より一層の生産性向上に限界を感じている経営層や管理者も多い。

 高機能、高品質のものづくりを標榜してきた日本の工場はグローバルなものづくり競争の中で価格との品質とのバランスに苦しんでいる。グローバルな景気後退は、高機能であれば売れるとのバブル感覚に陥っていた製造業には十分過ぎる程のダメージをもって警鐘を鳴らした。

 かつて製造業において主役は工場であった。製品の加工工程を改善し、物の置き方を改善し、安く良いものを滞留することなく生産するなどについてりーダシップを発揮していたものである。しかし、今、工場は主役でなく売れるものを作るだけの生産を行う脇役になりつつある。工場は本当に価値ある仕事をできているかとの疑問を持たなければいけない。

物が世の中に満ち溢れ、その中でどのように自社の製品ブランド力を高められるかはかつての競争以上に難しいこととなった。需要に引っ張られた生産の意識と需要に苦しむ生産の意識とでは明らかにその企業の取り組み方が違う。

 国内需要の減少により海外に生産をシフトし、海外の需要に応えてきた生産のシフトは多くの本質的な考え方を見失っているのではないだろうか。本来、製造業は常にその商品価値を高める努力をし続けることが必要である。一旦開発した商品をより良い機能や品質に高めることと同時に、その製品に関するコストを低減し続けることの2つを追及することである。

 この品質とコストの2つには当然、ある条件を前提としたバランス点が存在する。高機能化や高品質化だけに走り、生産はアワレートの低い国で生産するということは本質強化な進化は望めない。
いずれ他の企業も同じ方法で追随する、また、アジアなどの国内企業は逆に、より高機能や高品質の製品を売り出すことになる。そのような時に日本企業のもつ強さはどこにあるかが心配となる。

 日本的な運営技術こそが海外企業に勝るものである。多くの企業には品質不良による問題発生の未然防止や原価低減、生産性改善活動など、多くの示唆に富む思考方法が溜まっている。
生産現場の管理監督者やエンジニアだけでなく、現場で働く人にもこれらの素晴らしい経験が蓄積されている。この手法を効率的に運用できるようにツール化しグローバル競争に立ち向かうことが重要である。

製造業の知識検索のインターフェースで重視することとは

私は都市に住んでいるので、大きなビルや交差点などが頭に記憶している。ある意味、自分の都市の中を、自分が知っているビルや交差点によって自分なりの地図を保有している。その地図はタクシーの運転手とは程遠いレベルな簡素な地図である。しかし、人と会話する際には、その程度のアバウトさであのビルの東側とか、交差点の北側100mとの言葉づかいだけで十分に会話を進めていくことができている。詳細は不要なことが多いのである。

 今回の論点は、このようなアバウトなお互いの認識で済むことに対し、情報システムはあまりにも細かい単位だけで処理が行われている。その結果が、知りたいことを知る手間に時間をかけてしまっていることはないだろうかと思っている。

 はっきりと分かっていることから、その周辺のビルや様子を追加の知識として獲得していく。外の位置関係として自分の地図に少しずつ情報を追加しているのだと思う。そして、覚えたことを時々忘れてしまうのでもある。しかし、昔この近くに来たことがあるとか、よく通った喫茶店があった場所などは、おぼろげながら見つけることができる。

 これは、自分の記憶として忘れることのないであろうビルや交差点を目印とした自分の地図に、位置関係と共に、知り得たことを記録しているのではないかと思います。

 ものごとを遡り、記憶を探る方式は、このような間違いのない自分の地図を頭に描き、その近くにどのようなことが、起こったのか、それはどんな人が関係していたのか、どのような思いをしたのかなどを思い出すきっかけにしているように思う。

 自分なりの地図から広がる記憶したことは、幹から枝葉のようにつながり、そして、他の木の枝葉に結合するように関係していく。このことをから、表形式にはデータを蓄積する価値は限界があり、その表は、違う視点や緻密化により、役の立たない粒度のデータと関係性と理解されて、再利用性が低下しているのであろう。

 知り得た知識は、その枝葉の自在な適切な場所に記録することができなければならないことと、検索の入り口として誰にも明確な、地図のようなトピックをビジュアルにした分類による見え方が必要である。この分類は万人の理科できないような細分化は無意味な定義となるために、適度な分類にとどめ、幹、枝葉に展開してしまうのがよい。分岐される場所は目印となるビジュアルな絵で表示されながら、展開された知識についても他の知識との区別ができる絵であることが必要となる。

 ものづくりに適用して具体的に述べてみたい。ものづくり企業には、ものを作る工場がある。その工場のレイアウト図が、その企業のものづくり知識をためる地図になる。その地図には、大きな設備と誰でも分かる建屋の柱番号が記されているだろう。設備以外にも、部品の置き場があり、人の作業場もあるはずだ。この配置図が企業内にものづくり知識を知るための入口となる。この配置図に対して、自分の知っている知識を大きな観点から順に記載すれば良い。自分の知っている部品の知識でもよく、その加工方法でもよい。また、外注先の名前でもよい。品質の管理規格でもよい。品質の管理規格ならば、関係する部品との規格値との関係について、幹や枝葉を超えた繋がりを関係づけた知識が記録できることになる。

製造業のデジタルトランスフォーメーションはデータモデルが完成している必要がある。

社内の情報システムは役に立っているか棚卸しすること

トヨタ生産方式には、2つの柱があった。ジャストインタイムと自働化である。
ジャストインタイムを情報システムとして解釈すると次のようになる。必要な時な必要なデータを必要な分だけ集めることである。必要な時とは、ユーザがデータ検索行為をしたときである。インターネットの検索ほど、意図しないことが多く出現し、無駄な時間を費やすことはない。自社のシステムであれば、このように無駄な検索をユーザーにさせないことが重要である。

 しかし、この時、ユーザの欲することがシステム的に保証されていなければならない。意味のあるデータであること。一日前のデータなんかでは意味がないとすれば、一般的にシステム設計者は必要な日にちを任意に指定するように開発するであろう。ところが、多くの場合、必要な時とは、例えば一時間前とか、現在の最新ということであり、何の指定もなければ、そのような検索を行なうように開発すべきである。一番困ることは、システムの勝手な検索ロジックになっていることである。

検索表示に時間が掛かっていると、思考が中断して、仕事にブレーキである

 毎回毎回、その最新時刻からの検索のロジックではユーザーの仕事の効率化は図れない。システム開発設計には一般化が必要だが、ユーザ適用には特殊化が必要なのである。したがって、一般化システムの上に、特殊化機能をもたせる設計手法がフレキシブルである。必要なデータを処理する際にも、不用意に大きなテーブル全体を対象にしてしまうこともある。でも、その処理はユーザーには全く分からないのであるから、真剣にロジックを考え、レスポンスに対し責任を持つ必要がある。

 レスポンス時間を考えるならば、もっと慎重な設計をするはずだ。このレスポンス時間は、ユーザにとってもっともムダで嫌われる時間である。しかし、SEのなかでこのレスポンスを目標値を示し、設計してくれる方にお会いしたことがない。そもそも、システムの設計指標としてレスポンス時間があるはずである。完成後にチューニングといい方では、情けない。どのような設計をしたら、ユーザを待たせないレスポンスを得られるかを予測できるようでなけらばならない。

考え事をしながら本を読むなら紙媒体を選択する

 本を読み、ぺらぺらめくったりすることがある。この操作性のよさはなかなかコンピュータで実現できないのである。あるときは半分だけめくり戻すなんてことも本なら可能であるから。これも本だからの検索手法である。情報システムでは、この機能をどのように実現することができるのかを、もっと考えて欲しいものだ。

 もともとトヨタ生産方式はムダの排除を根底に考えられているシステムである。それがゆえに情報システムでも設計思想として通じるところが多い。そもそも情報システムも人の仕事のムダの排除が目的なのであるから、何がムダであるかをよく考えてシステム設計しないと目標の効果は得られない。

 また、改善という手法がトヨタ生産方式にあるが、これもよく似通っている。すこしづつ、仕事のやり方を改革し、人の思考を助けるには、いくつかの機能が必要である。必要な情報を収集する。集まった情報を整理・解析する。解析した結果から何らかの結論を得る。その結果を具体的に表現する。これらの過程のどこか一部分だけをシステムが支援していることが多いが、結論を出して、行動に移すこと、更に、その結果をモニタリングし、次の改善に繋がるところまで開発実現させないと価値がない。

情報をつなげることは容易ではない。簡単にデジタルトランスフォーメーションは進まない。

 この中でうまくできていないのが、情報の整理と解析、そして結果を得ることだと思う。これらはトヨタ生産方式で言うところの自働化ができていないのである。整理と解析には決まった手法が一般的にあるものではなく、個々の仕事における経験的なものがベースになっている。情報の整理と解析には、その過程で未取得のデータを取得することも必要である。仮説と検証の繰り返しになることばかりである。

 人間が仮説として対策案を生み出すものであるがゆえに、通り一変に情報整理と分析を自動化することは難しい。しかし、その事を難しいと言うことで当初から考えることを放棄してしまっていないだろうか。私達の仕事を効率化したいと思うのであれば、どのような事を、どのような観点で分析をし、どんな自動化の可能性があるかを考える必要がある。要する完全なるデータベースの構造設計は、完成することはなく、常に改造し続けることになるということである。

 もし、改造を避けるならば、観点を替えたりして、業務のルールを変更することなどで、目的の結果を得ようとする必要な検討行為がなされなければいけない。しかし、この行為は本質的解決にはならないのである。

 この時、思考錯誤ではあるが、システム的には一つのアプローチが考えられる。それは、どのような目的でどのような観点について過去のベテランはなにをしていたかがよりどころとなるのである。

 この本来、継承が難しい経験的なものを蓄積していけばいくつかの検討のケースに役立つはずである。この思考プロセスを情報として蓄積するようにすればよい。これが自働化である。ここを実施しないとエンジニアの時間を短縮することはできないのである。この自働化のシステムはきっと、インタラクティブな方法でコンピュータと会話しながら進めるものになるはずだ。人それぞれの思考プロセスがあるが、しかし、そのプロセスでなければいけないルールが存在する時には、その思考プロセスを採用するように警告を出すような自働化が必要である。

 コンピュータはどんなことでも答えを出してくる。しかし、それはコンピュータが出した答えでしかないのである。意味の無い解を出されても困るし、信用できないし、かえって時間を無駄にする情報となることがある。情報過多かつフェイクがあるようにこの時代において、ユーザが信用できる答えを導き出すようなシステムが必要である。その為にも、知識の記録方式を研究しなければいけないと思う

デジタルトランスフォーメーションを推進して、ものづくりの無駄、仕事の無駄、システムの無駄をなくす

トヨタ生産方式の無駄概念

トヨタ生産方式はムダの徹底的排除の考え方に基づき、造り方の合理性を追求し構築されたシステムである。これの柱は2つ。ジャストインタイムと自働化である。物を造る場合の理想的な状態は機械、設備、人などが無駄なく付加価値を高める仕事をしていることにある。この理想状態を実現するために、各工程、工場などにおいていろいろな手法を研究したものがジャストインタイムである。ジャストインタイムは必要なときに必要なものを必要なだけ各工程に供給することである。

 もう一つの柱は自働化である。スイッチを押せば自働で動く機械は多い。近年の設備は高性能になり、高速化している。なにかちょっとした異常が起きた時に、スクラップづまりをおこしたり、タップ破損で不良が出始めると,多くの不良の山をすぐ築いてしまう。

不良品をつくることは働いたことにもならないし、また、仕事をしたとも言えない。単に動いただけである。ニンベンのある自働化が強調されるのは、機械に良し悪しの判断をさせる装置をくみこんであることが必要という考え方。この良否を判断するために標準作業を定義し、これにあてはまらない時には欄を止めるということ。

管理者はすぐその原因を直し、改善し標準作業のなかに組み込む。これを繰り返すことで、良い製品が安く造れると考えたのである。一人の管理者が多くの自働機を管理下において運営するには、普段から目で見てわかるようにしておかねばならない。ここに目で見る管理の考え方が生まれる。

トヨタ生産方式はトヨタ自動車様のホームページをご覧ください

情報システムも人が減らなければ価値はない

 情報システムは本来、人間の思考を助ける為にある。いろいろな情報システムに接してみると本当に効果があるのか怪しいことがある。
情報システムは効率化にならないといけない。質の向上と言う効果で終わらせることは出来ないと思う。

そもそも、ある質を確保する為の投入工数があり、そこにシステムを導入するのであるから、その工数は減らないといけない。更に、質をレベルアップするには、もっと多くの工数をかけなければならないので、もっと大きな工数低減になっているはずである。しかし、この見込みの質向上と見込みの投入工数はマネージメントには了解されにくい。


 事実、現在の人員を減らしたいのであるから、今の仕事を何人でやれるようになるのかが重要である。
 1つのケースを考えてみよう。社員一人一人が勤務時間を紙に記録していたとする。それぞれの勤務時間は会社の規定に当てはまって勤務する必要がある。紙に毎日勤務時間を記入するのに必要な時間はきっと1分もあれば十分である。しかし、あるとき、管理部門が情報システムを構築した。そのシステムに毎日勤務時間入力をすることになった。この時、管理部門は、部署別の残業推移などや勤務ルールに一致しているかをチェックするためにこのシステムを導入した。


 しかし、そのシステムの仕組みがあまりよくないので、入力に5分かかってしまう。1000人の会社であれば、無駄な時間が4000分、つまり67時間/日の損失である。言い換えれば定時勤務の 8人の従業員をムダにしているのである。管理部門が5人で実施して仕事ならば、このシステムはむだを発生するシステムである。 
 
 しかし、入力を工夫することにより、30秒で実施できるならば効率的なシステムである。このように、多くのシステムにおいて、入力の時間をよく吟味する必要があるということだ。入力工数は情報システムにおいて無駄だと思わないといけない。情報システムの本質は人間の思考を短縮化することなのだから。情報システムは遠隔地のデータを簡単に取得できることと、もう一つは多くの人達とデータ共有できるメリットがある。

 多くの人の手間をどのように解決できるかを十分にシステムエンジニアは検討すべきである。情報システムの外部仕様は必ず、ユーザの活用する画面設計から着手するようにしている。このように進めると、どのようにデータをいれるのか、どんなデータでなにをどのように見たいかなど、自然とユーザは考えるようになる。そして当然、そのシステムの目的などもクリアになっていく。

 SEはユーザに提案することも大切であるが、後の運用を考えるとどれだけ,ユーザに考えさすかである。少しづつ、自分の持っている方向にユーザを誘導できるくらいの洞察力と緻密さを持たねばならない。そうでなければ、日本の生産性は向上しないだろう。

製造業は好奇心のかたまりであるが古典的すぎる仕事の進め方をDXで革新すべき

ノウハウや知識を受け継いでいくことは特に技(わざ)の伝承にて語られることが多い。腕一本でものづくりを行なっている人達がいる。創業100年を超える企業が日本にはたくさんある。この企業は、腕一本で創業者が事業を興し、弛まぬ努力の積み重ねで継続していることは疑いのない事実である。

 一方、日本には多くの企業があるが、それぞれの企業はノウハウや知識を受け継ぐことができているのだろうか。利益優先で、事業をズバッと切り捨て、開拓するのもやむを得ない時もあろう。しかし、そのような状況でない中でも、日常的にノウハウや知識を受け継ぐことができているだろうかと思っている。
このノウハウや知識は企業の事業内容によって特別な固有のものも多いが、一般的なことも相当あると思う。知らないのは自分達だけではないかと心配して業務に接することが一番安心な心構えであろう。

 一番、ノウハウや知識を受け継いでいく良い方法は話しをしながら、作り方を見せながら体得する方法であることは昔から変わらない。最近は動画がいっぱい無料で配信されていて、これでも十分だと思うこともある。しかし、時々、なぜなのかと質問したくなることにも遭遇する。この時のなぜは人によって、深さや範囲は異なる。しかし、分かると言うことも人ににより異なる。分かったつもりのように、どこまで分かっているのかと心配なこともある。

 小生も分かっていないことばかりに直面し、いつも頭を抱えているのである。私達人間は知りたいと言う好奇心は際限のないことであり、人によって、その優先順序や重要性がまちまちなだけなのだと思う。したがって、他者に強制もできないし、次から次へと沸き起こる疑問は、もはや、他の人からはどうにもコントロールもできないことなのである。

 インターネットで動画による解説を聞いても、それだけでは十分に満足できない。先輩から話を聞いても、疑問は全ては解決しない。大学の研究者のように、分からないことを明らかにしたいのは人間の本質である。企業の中においては、その知りたい行動を、組織や自分の役割というタガで、それ以上の行動の制限をかけているのである。このタガが、今、一番成長や創造性や生産性に良くない影響を出している。若い人の柔軟性を管理者がタガをはめて、窮屈な思考の場にしてしまっている。

 このような好奇心という人の性に対し、知りたいことや知り得たことをメモするなんらかの構造的な方式が欲しくなる。単なる断片的に孤立化したメモではなく、知りたいことと、知ったことを都度適切な場所に記録する方法である。そして、それは、他者が知りたい、知ったことを記録できる共有の場所でなければならない。既存の方法では答えがないのである。
もし、このようなことが可能になれば、追加も自由で、蓄積型の知識の記録方式になる。それこそノウハウや知識を受け継いでいけるはずだ。これが特徴点記述式と呼んでいる私の方式である。