製造業の設計者の安全についての倫理観について

世の中はもので溢れています。今日は、ものの安全性と設計者の倫理観について述べたいと思います。

 大きなものは原発、化学工場、鉄道、航空機、自動車、建築、玩具、電気製品や小物に至るまで、安全規格は規定されています。

 ものの安全において、利用段階での安全性は一番気をつけなければいけないことは言うまでもありません。

 企業は利用者との距離が近く無ければいけない。近いとは敏感で反射神経が優れていて欲しいものです。

 お客様窓口を設置している企業は多い。しかし、お客様の意見や要望、苦情が安全に関してどのように関連するものであるかが判断できているのであろうか?

 多分、受付処理の機能となっていて、問題は、受付られた情報は、どのように社内展開されていくのかにある。

 神経がピントしていて末端まで伝達する能力は企業風土によっては、かなりの差がある様に思う。

 ものの設計者が一番心配することは、安全性であるべきです。しかし、ものが果たす機能の実現に偏重してしまうと、安全の配慮が疎かになるのである。

倫理観は社会生活の場面だけではなく、仕事をする際にも個人が保有すべき重要なことであります。

 まして、自分の設計する製品が市場に広く利用される設計思想においては、充分にチャックされるべきことです。

 人類は危険にチャレンジして飛行機を開発するなど、チャレンジも一方では人の役に立つ技術として大きく貢献をしてきた。

 しかし、墜落事故は無くなっていない。まだまだ技術の開発が必要なのです。

 原発は同じくチャレンジの要素が大変強いものである。しかし、未だどんなリスクが一般人にあるかは伝わっていない様である。

 あれだけの事故を起こしながら、想定したリスクに対して、原発の設計構造やシステムの中にどの様な対策が取られているのかが分からないのである。

 安全性は一般の人が理解できる様に説明されなければならない。

 プロフェッショナルな方だけが理解していても、起こりうる可能性が完全に対策できていると自信を持って言えるだろうか?

 要するに言い切れないことがあるはずだと思う。それは設計者が心配しながら図面を書いた段階で脳裏にあったことも含まれる。

 あれだけの規模の構造物と物理現象他の組み合わせの巨大装置が完全無欠であるとは思えない。

 同じ機能を設計するにおいても、設計者が異なると全く違う設計をすることもあるだろう。

 この様に人によって設計が変わること自体に、その製品の技術的な未熟さがある。

 全くの飛び抜けた製品が出にくい日本は、ある意味思考が保守的で安全を大事にしているからだと思う。

 しかし、一方で、危険が当たり前(素直に危険だと思うこと)であっても、対策が打たれないことも原発だけではなく他にもある。何かおかしな気がして仕方がない。

 市場に出てから問題を起こさない設計をするには、設計者が保有する技術力のほかに、何が安全で、どうすると不安全になるかを想像できる力が必要であり、その力は設計者としての素直な倫理観によって認識されるものである。

製造業の業務プロセスを守るようにするには。

仕事のプロセスを見直すことは重要です。マニュアルとは少々異なるものです。マニュアルよりもっと大きな手続きを対象としたものと思います。

 プロセスは手続きを記載して、順序立てて遂行できる様に記述したものです。

 関係部署にはそれぞれの役割があり、その部分部分にて決定する条件が関係しています。

 このプロセスが社内で規定されている必要があります。

 製品開発にて過去の設計図のコピー風土がはびこり、異なる部分を修正すれば良いという事になると、部署間の正しいタイミングでの調整が行われずに、大きな問題となることもあるでしょう。

 プロセスの規定は、仕事の効率化にも貢献し、組織における重点指向の変化によって、規定も見直しが必要です。

 しかし、紙に書かれた規定の場合は、規定の見直しそのものも、改訂のプロセスとしてしっかりと運営されていた様に思います。記憶に留めようとし、不安があれば文書を探すことを必ず行っていた。

 デジタル化され規定がサーバーに保管されるようになった今日では、日常的に規定が目に触れることが無くなっているのです。ここに問題が起こっていると思います。サーバにあるとだけ知っていれば、規定を記憶に留める努力をせずに、必要な時に見れば良いとの考え方になってくる。

 プロセスは、その手続きの内容についても規定がされるものです。どの様なことをどのように判断をし、どんな形で結論を出すかが規定されているはずです。

 つまり思考の順序を定め、仕事の取り掛かりが悩まずに着手できる。そして進め方が共有されているものになります。

 関係組織のどこかの部署が、自分たちだけで勝手に決めたという事になると、規定違反であるし、そもそも組織の役割認識が疎かになっていることの表れです。プロセス規定がサーバーに保管される事により、積極的に見ようとしなくなっています。

 このようにプロセスそのものも知識と言えます。そのプロセスも改善が進んでいく必要があり、ワークフローのようなシステムでは、柔軟性が不足すると思います。また、ワークフローの中にはプロセス規定がタイミング良く登場することが必要です。

 どのくらいワークフローシステムが世の中に広まっているかは承知していませんが、あまり受け入れられていないのではないでしょうか?

 しかしながら、IT化の拡大により手続きだけを守るだけの仕事は、今後も減っていくと思います。スピードを考えるならば、手続きを変更しなければいけないことが多いと思います。

 プロセスは規定されている必要がありますが、柔軟に改善され、組織間で、迅速に変更したプロセスを実行できることが必要であると言うことです。

 そのためには、プロセスを規定した理由が重要になります。その理由とては、ミスの防止、上司の承認手続き、コンプライアンスの確認などです。

 このような手続きに関する部分がIT化され、そのシステムの中で保証できるようになれば、プロセスの規定は修正されるものです。

 プロセスの中には業務推進上の問題が絶えず発生します。その問題を記録することも価値があります。

 プロセスの規定の中での判断をどのように行うかに役立ちます。

 そして、判断の事例を蓄積することは、判断の指標が変化したり重みが変わったりすると結論が異なることを意味しています。また、もう一つの重要なことは検索です。

蓄積された情報を瞬時に欲しいことだけを検索表示して欲しいものです。自分が欲しい情報を検索表示するようにするには何が必要かを考えて見てください。

弊社では、その点を強く意識してCKWEB2の開発機能に織り込みました。どのような方法かはこちらに開示していますので、ご覧ください。

 このような内容までのプロセスの規定と検索機能ができれば、仕事の生産性は向上すると思います。今後のIT化は規定の遵守と規定変更のシステム的な柔軟性が求められている様に思います。

知恵を出せる人は継続的にメモの蓄積する習慣を持っている

知恵を出せと言われ、いきなり何をしたら良く分からなくなる時があると思います。

 これはどのようにその言葉を受けとるかによって、思いの方向が変わるのです。

 出せと言われても、と考えたら、そこで思考は停止してしまいます。

 何かを絞り出さないといけないと思うことが、今後の生き方を変える事になるでしょう。

 今の時代はインターネットがあるので、検索すると本当に多くの情報が登場してきます。

 知恵を出す際に、求められていることは、新しいアイデアや考え方であろうと思います。

 インターネット上の情報は求めれている知恵を考える事に役立つものはあると思いますが、期待されている知恵に値する答えではないのです。

 社員がインターネットの調査結果を羅列して報告してきた事があります。

 本当にガッカリした事を覚えています。インターネット上の情報を提示されたことは、その文体や用いている言葉づかいや考える幅、深さなどですぐ分かってしまうものです。

 そもそも、上司もインターネットを検索していると考えれば、そのような行為が行われる事は不思議でならないですね。

 昔は図書館で調べるしか方法はなく、あとは人に聞くことの方法しかありませんでした。

 その結果、得られた情報だけで求められた知恵の答えではないことは容易に承知しているので、自分なりの考えを見つけるしかない。

 仕事でも生活においても、インターネット上には、解決したいことと全く同じことは載っていないのです。

 そのくらいに、世の中の発生する問題や解決したい課題は種類も大小も合わせて無尽蔵にある。しかも、それらは次から次へと新たなことが生まれてくるのです。

 法律や規則などとは違って、その様に通りいっぺんに決めれられないことばかりです。

 そのためには、知恵を出せる様に準備しておくことが必要で、メモを書くことを進めたい。

 いろいろな事象について、自分の考えを思いつくままメモにしておく。

 私は会社を辞めてからの15年間のメモを保有していますが、それを、時々、振り返って読むことを楽しんでいます。

 昔のメモに書いてあることが未だに解決していないことも多くあります。人がいる限り、考える対象のネタは尽きないのである。

 インターネットでの検索だけでは、知恵が出せる頭を鍛えることはできないのです。知恵は自分の獲得した知識の組み合わせから生むしかないのです。

 それは、一瞬にして思いついた事であっても、その前に、いろいろなことを考えた結果として異なる角度からいっぱい発想したことの成果であると考えています。

テレワーク推進を契機に働き方の改革として基本的に考えるべきこと

テレワークを70%目標との要請があります。もしこれが達成できるとしたら大変良いことだと思っています。

 企業の70%の社員は、自分だけで仕事ができるということです。

 もちろん、ネットでのでコミュニケーションは行うとしても、無駄な時間を割くことがなくなると思います。

 自宅で仕事の納期を守りながら、時間を自分の管理下に置くことができるからです。

 刻々と進む時間を自分で自由に使えることは、人が生きていくことで重要な要素になります。

 この自由な時間をテレワークで与えられてる事になったのです。

 あとは、自分の能力を高める努力をするだけです。これは本質的に会社に勤めていても、いなくても必要なことです。

 ここでの課題は個人個人が考えたこと、つまり検討データをテレワーク環境ではどこに保存すべきかということです。

 テレワークの場合もそうでない場合でも、自分の考えたことや知り得たことを自身のPCに保存することが多いのではないでしょうか?

 企業内のネットワークに自宅から接続できる環境であれば、引き続き企業のサーバに結果データだけは蓄積されますが、個人の検討データは個人PCに保存される事が多いでしょう。

 結局は自身のPCに共有されないデータが蓄積されていきます。

 社外から企業の内部サーバに接続できる方法でも良いのでが、それがベストな方法とは思いません。

 少なくともクラウド上に配置されたサーバに個人の検討データを保存させなければDXの情報共有化は進んでいきません。

 テレワークをやめた途端に個人のPCデータは他者に公開されないまま個人データとして残って埋没してしまう事になります。

 セキュリティについても、クラウドサービス会社に委ねた方が安全であると思います。

 クラウドサービス会社のセキュリティ対策は、そのサービスの生命線であり専門部隊で対策を講じています。

 社内に保有した組織で、セキュリティ対策を行っても専門家の多いクラウドサービス企業以上に実行できることは難しいのでは。

 これからは閉じ籠ったシステムではなく、どこでも仕事ができるクラウドサービスが本質的な選択です。

 餅は餅屋です。お互いに検討内容を知ることのできる環境であることが開かれた働き方だと思います。

びっくりする初めてのアイデアを日本がチャレンジできる社会を

もし事業を始めるとしたらどのような事を考えますか?

 次世代と言われる事業の計画や実験を聞いていると、解決しようとする課題が小さすぎないかと思う。

 世界では、もっとビックリするアイデアというか、本気度でそんな事やるのかと思う事業がどんどん出ている。

 なぜ、日本企業は、ビックリするような事が登場しないのだろうか?

 1つには、企業のビジョン構築能力が足りないことが挙げられる。

 2つ目は、ガッツのある社長が少ない事による、リスクの心配し過ぎ。

 3つ目は、アイデアを発想するチームが存在しない。或いは弱い。

 4つ目は、アイデアを実現する人材を社外に広く求めない。などが思い浮かぶ。

 大手企業はメイン事業を変える事ができるようなアイデアでなければ本気にならないと思います。

 じっくりとアイデアを練り、例えば5年待つような辛抱ができないのではないでしょうか?

 大手企業が事業展開するのは大変困難な道を辿るように思います。

 既に強固なビジネス基盤を保有して、数千・数万の社員を抱えている規模は、前提として、その社員を雇用し続けることができなければ事業を転換できない。

 そのうちに後発企業が、もっと良い商品やサービスで大手のビジネス基盤を侵食してくることは容易に想像できる。

 そのような危機感で、次のビジネスの柱を構築したいのであるが、これが大変難しいことである。

 中小企業がアイデアを実現できるかと言えば、兎に角、資金の問題が出てきます。それも、投資がなされるなら進んでいくと思いますが、チャレンジへの投資はこの国では弱いと思います。

 こんなことを書くと若い人の意欲を低下させてしまうのが気になるので激励をします。

 そしてもはや、若い人がこのように硬直化した社会構造をリビルドするしかないと思うのです。

  いろいろなことが、古いルールや手続きなどで縛られていて、不要なルールや手続きを廃止した方が良いものが沢山あると思っています。

 若い人は起業するも良く、企業に入るなら大企業を薦めません。

 思い切った仕事をしたいなら、そして人生を振り返った時に、これができたと言いたいならば自分の意思を持てる場に身を置くことが必要です。びっくりする事業を期待しています。