自社のDXシステムは内製で構築すべきと考える理由とは

テレワークの要請が改めて企業に出された。テレワークができない仕事もあるが、テレワークを行える企業とそうでない企業があるからが問題である。

 そもそも、企業の中の業務プロセスが個人の責任が大きいのか、それともチームでの推進が大きいかにもよる。チームでの業務推進はIT環境の共有度にもよる。もう一つは、企業のITセキュリティポリシーの違いにもよる。

 日本の労働生産性の低さとIT活用度の低さには大きな関係性がある。共に人の仕事の効率性を指摘されているのである。

 約30年、企業の内外で業務改革を推進してきた経験から述べれば、企業内におけるIT組織の力が弱いことがあげられる。

 もう一つは、ユーザーとなる人達も業務改革意識が低いことがあげられる。

 ITを使って、業務改革をするんだという意識が足らず、活動が低迷している様に感じられた。経営陣も牽引者が明確でないこともあった。

 このような中で、企業は外部のシステム会社に、要件定義まで丸投げすることが継続し、それにて売上を得る業態ができてしまった。それも建築のゼネコンではないが、ITの下請け構造が階層化し、知識が分散化してしまった状況になっている。

  企業の業務改革は自らの手で改革の方策を決めるのが当然であり、外部への依頼は余程の専門的な外部知識以外は必要の無いはずである。

 どうも、30年前くらいから、企業が企業自身が行うべきことを安易に外部依存している様に思う。考えることを放棄している様にも見えることが多かった。

 このようなことから、企業の中に業務改革意識を持つ管理者や次世代を担う若者が育ってこなかったことが業務の生産性とIT活用が遅れている要因である。

 ITの知識獲得も外部から把握するスタイルであり、企業自らIT情報を獲得に歩くことも少ないようである。IT投資は大半が人件費である。構築済みのシステムの分からないことを分かるまで把握するには、もはや不可能に近い工数がかかることになる。

 社内のシステムを構築した知識ある企業に外部依存した方が、相対的にコストは低くなる関係性になってしまっている。

 一方で、システム企業は社員の転職が大変多いのである。特定の企業のシステムを経験した人が他のシステム企業に籍を変えるのは、システム企業も特定企業のシステム知識も貧弱になっていくのは当然である。

 となれば、システムを改造するにも、期間が長くなり、不具合の可能性も高まり、結果的に費用が増大することになる。

 このような状況の中で、ITを活用して効率化することは、そもそも費用対効果を考えた場合にIT投資そのものが削減されることにもなるのである。或いは、システム会社もリスクがあり受注したくない案件も出てくる。

 今後は自社のシステム構築は自社内で可能にする方向に進めていくべきではないかと考えている。

製造業の在庫過多は工程設計力の不足と思えるかが重要。

ものづくりの企業コンサルタントとものづくり業務向け情報システム企画提案と独自の情報システム開発販売をこれまで行なってきた。この中で、学んだことやわかったことを紹介します。

 その中で、在庫削減の依頼も多くあった。それも在庫管理システムを稼働させながら、在庫が減らないという話が多い。一瞬、あれっと思うのは私だけではあるまい。在庫の数を数える機能しかなく、在庫削減の仕事は人間が着眼点を見つけて行なっているのである。

 そもそも、コンピュータに登録されているデータは正しいのかという質問を投げかけると、残念ながら、不安な表情をするだけであった。販売見込みに対して、発注し、部品や素材を受入し、倉庫に保管、生産工程に運搬、次の工程に運搬、検査、手直し、出荷、搬出場へ運搬といった流れで製品を生産しているのが基本である。

 仮に、以上の流れが一つの工場内で行われているとしよう。工場内に、いつ、どの場所に、いくつ、どんな部品や材料があったのかを知る必要がある。しかし、それを把握できる仕組みは備わっていないことが多い。それも、加工を通じて2つの部品が1つになることもあるだろう。

 このようなことはすぐに不可能であるために、定点観測して在庫数をカウントしている。ある1日の稼働終了後、工場に入った部品数と出荷した製品数とから、部品表を元にして、製品に使われた部品の数を計算する。工場に納入されたそれぞれの部品数とこれらを部品単位に比較すると、製品になっていない仕掛り部品数が求められる。

 これらの仕掛り部品は、加工機にセットされているものもあれば、その前後の搬送、運搬設備の上に載っているものもある。また、機械の横で、人がハンドリングする台の上に載っていたり、その前にパレットなどに入れられて、使用を待っている部品がある。更に、その加工ラインから離れて場所に、一時的に部品が置かれていたり、倉庫の棚に入っているものもある。

 このようなものを仮に、仕掛り在庫と呼ぶとして、この工場には日当たりどのような頻度で部品が納入されてくるかを知らなければならない。部品によっては納入ロットサイズや納入頻度も納入量も異なるものである。

 すると翌日1日分を生産するために必要な部品別の必要量から、仕掛り在庫を減算し、更に1日分の納入予定数を減算した結果が余分な仕掛り在庫数になる。

 日当たりの生産量にもよるが、生産量が多ければ多いほど、上記のような計算ができなくなるのである。それは、工場が広く毎日、稼働終了後に部品全点の仕掛り在庫を歩き回って調査することはできないからである。

 できないから、調査をしないと言う事であるならば、なぜ在庫削減をしたいと思ったのだろうか。売り上げにすぐにならない部品や材料を購入してキャッシュアウトが目立つからだ。

その仕掛り在庫が数日で減るのか増えるのかも不安な販売予測の不確かさもある。一方で、在庫を抱えて過ぎていては心配である。スリムな体質での生産が必要だと思うのである。

 在庫はいろいろな要素から発生する。仕掛り在庫の発生場所で、それぞれ、計画のミス、実行上のミス、加工の不良、納入時の部品不良、手直し時の交換、無駄な生産ライン上のバッファ、欠品による生産計画の修正による保留品などである。

 これらの仕掛り在庫を把握するには、その時に理由を知る必要がある。その理由を知ると、更になぜそのようなことが起こるのかという疑問が湧く。その疑問は、結局は、直接、ものの加工を行う現場にではなく、そもそも製品の設計や設備の計画や販売に対する生産計画の問題になるのである。

 ここまでの追及をすることなく、在庫が多いという問題を現場だけで解決しようとしても無駄である。となると在庫管理システムは一体どのような方向に進むべきかが分かると思う。在庫管理とは、結果の数を数えるものではない。


もっと、ものづくりの全ての知識を集合して、コントロールできるようにならなければならない。結局はものづくりの工程設計力によるものだ。

製造業の継続的な問題解決マネージメントの必要性とは

製品の構造と生産の効率性の間に解決の難しい長年の課題というものがある。設計が構造を考える限界と生産が工程を創造する限界が共に接点を持つポイントまで到達していない課題がある。

 製品によって、そのような課題が無いものもあるだろう。しかし、どの様なレベルのことに着目しているかにもよる。このレベルが、異なっていることを理解すべきだと思う。

 製品とユーザーとの間にも同様な課題がある。ユーザーからは、もっとこのようにして欲しい事に対して、設計の標準やコスト、性能の考え方とぶつかることがある。

 このような長年の課題となっていることを解決しようと考え続けていれば、いつか、その解決策が生まれて対策できるようになるものだ。

 イノベーションと言われながらも、イノベーションが行われないのは、そもそも、長年の課題を持っていないことによるのでは無いだろうか。

 いきなり、世の中の課題を解決する製品やサービスを立ち上げようとしても、その思考訓練と実現の基本技術を保有できていないので、どのように進めて良いのかで困ってしまうことになる。

 ブレーンストーミングさえ、自分の会社でやるべきことか?やることができるだろうかとのバイアスが掛かっていて、結論に至らないこともあるだろう。

 長年の課題を解決する際に、発明や新技術の発見がある。最近の製品開発を眺めていると、欧米の二番煎じが多くある。にも関わらず、欧米が日本の真似をしている製品はあるのだろうか?

 ものやサービスを実現するスピードは大きな投資を行う欧米にはかなわないだろう。これではイノベーションも遅れてしまう。安全や安定思考の経営では尖った製品やサービスは実現が難しい。既に多くの顧客を持ち、そのビジネスに集中する方針であれば、それも良い。

 ビジネスを変えたいと思うならば、社員も経営陣も頭を切り替えなければいけない。我慢が必要だと思う。それには、変えたいビジネスは何であり、なぜそれが重要なのかを突き詰められていなければ継続しない。将来の事業にしようということと、面白いからやってみるかということとは大きく違う。

 日頃から、考えたことをメモして、考えを成長させて、外部の情報と組み合わせて、そして考えたことをメモをするという、考えたことの蓄積が論理的に重要性を説明できる事業アイデアに帰着するものと思う。ふと浮かんだだけのピッチがうまいだけではその後は続かない。残念ながら、企業の中ではこのようにメモの蓄積が重要視されていない。

製造業には設計の意図が記録できるDXが必要とされている

首里城のデジタル復元のTVを見た。この城はこれまでにも戦争などで何回も焼失してきた事を初めて知った。この重要な建築物を復元したことのある経験者が健在で本当に良かったと思う。

 焼け残った物から分かる真実もあるが、多くが、写真や文書などを頼りにせざるを得ないとの事であった。漆の繊細な装飾模様も、写真から観察し、製作の工法を推定するという復元方法とのこと。

 写真さえ残っていれば何とかなる物だと思ったが、屋内の間取りや柱の位置が写真だけでは分からない問題が発生した。たまたま、資料館に間取り図があり、加えて塗装色やその描き方、柱ピッチまで記載されていた事により復元のための設計ができた。写真だけでは不十分だと分かった。

 漆の装飾も屋内の間取りの復元も、その技法や詳細図が無かったら、どんなに困難であったろうかと考え、今日のデジタル化の時代では、このような文書による製造プロセスの記録がどのようになされているかが心配になる。そもそも、CADなどで設計作図されているから大丈夫ということなのだろか。

 それだけでは不十分だろう。見て分かる事だけしか分からない。寸法は見れば分かる。なぜ、その寸法にしたのかは分からない。デジタルになっても、背景や意図、どのような加工法であるかなどは、そのつもりでないと記録されないだろう。

 更に、デジタルになった場合には、その設計図などは、どこに保存されるのだろうか?会社のサーバとなってしまうと思う。昔ならば、何冊かが印刷されて、その一部がどこか別々に保存され、それを探し出して、重要なものは資料館に保存されたのである。

 デジタルになったら、どのように公的な保管場所に保存するかを決めておかないといけない様に思う。また、保存には、意図や背景が分かる文書データも一緒に提出するように規定すべきだと思う。元のデジタルデータが消去された場合には、万が一の場合は大変困る事になるのではと老婆心ながら思った。

デジタル社会では知識や情報の公開と記録の方法には同一化が必要ではないか?

新コロナを始めとする大きな課題がはっきりとしている。年末年始のニュースを見ていると他にも、環境問題、尖閣諸島周囲の中国船の侵入(含む東シナ海での中国の独断的行動)、などであろう。環境問題議論はコロナで活動が閉じ込められている。中国船の件は人の話しあいでかい解決できる。だから世界の緊急課題はコロナである。

 このコロナについて、情報が蓄積型で公開されていない。海外の取組、成果なども庶民に正確に公開されていないように思う。このような新しい事象については、誰でも理解できるように他国との横並び比較で、日本の施策を説明して欲しい。

 断片的なことだけの情報をずっと続けて出されているように思う。例えば、比較して分析ができていないことはどのような事であり、その事をいつまでに誰が分析結果を報告する予定なのかも不明。それをネットに公開して欲しい。

 感染研究者によって意見が異なっている。その意見はどのような分析からのものであるのかの説明もなく電波にのるのは好ましくない。定量的に述べて欲しい。これらの意見は国がまとめているのではないか。国の説明が体系的に述べられていないのでは、理解できなくなってしまう。

 科学の進歩したこの国の議論は公開の仕方が下手である。自由につぶやくというやり方で周知が結集するとは思えない。うわさを流されても困る。何がどこまで分かってきたのか、だから今はこの仮説によって具体的な対策をこのように進めている。そして、その結果は何日後に明確になる。その結果から対策を次はこのように変更するというやり方と説明を誰でも分かるように公開掲示して欲しいものだ。その事に基づいて、意見を言えば良いのではなかろうか。

 このようなことは、そもそも知識の記録の方式が定まっていない事にある。想定される感染拡大要因、対策と結果、事業者への影響、予算実績、感染者の属性、治療内容、医師看護師の属性など変化する項目を常に修正追加しながら、データと共に全体像を可視化しなければいけない。国民の協力を得るには、掌握している全情報を分かりやすく掲示して、共有することがまず必要なのではないかと思う。

 表面的な感染者数だけを追いかけても対策とリンクした説明にロジカル性が不足する。過去の感染を、遅れてカウントしていては後手になる。毎日、特定地域の全員を検査し続ける。発見した陽性者を隔離する。これを2週間続けてたら何かわかってくるのでは?などなど、分析できるためのサンプリングの仕方もアイデアはないのだろうか?