昔の紙のファイルと同じで、まだ、紙とバインダーの方が見つけやすい
私はすでに10年近くも、タイトルにあるこのようなことを考えている。それはものづくりの仕事のIT化を企業で担当してからずっとである。これまで、本当に知識とは何か? 技術とは何か? ノウハウとは何か?に始まり、そもそも言葉とは何かや、なぜ人は物事を忘れてしまうのか?なぜ、突然に思い出すことがあるのか?人に伝えるには文字でないと難しいのか?Youtubeのように動画になっていくのだろうか?自分のPCに徐々に乱雑になっていくホルダーとファイルの姿を見ながら、何回も整理し直しても解決できないことに特に苛立ちを覚えながらも、みんなはどうしているのだろうかという疑問を抱いている。結局のところ、10年前のファイルなど見ることもないからといっても、消去できないのは何故なのだろう。それでも、本当にたまには過去に考えていたことを知りたくなることがある。その度に何時間も探しまくることを諦めれられない。そして、やっぱり、今でも当時の課題が解決できていないことに呆れるばかり。こんなことを人間はずっと行っている。どこかで課題の解決を諦めたのか、それとももっと重要なことに考えや仕事が移り、その思考の場所に戻れなくなってしまうのだろうかと。
それは紙とえんぴつで記録していた30年前までと、今日のようにITが進歩した時代の記録方式が変化していないのは大変おかしな事であると思うからである。IT技術に振り回されて、人の生産性は本当に高まったのだろうかと。余分な情報が見え過ぎて、気づいたら何を考えていたのかと悲しくなることが多い。人の思考スタイルになじんだ方法が必要だと考えたからである。良かったら一読してください。
私達は結局のところ手書きをデジタル化しただけじゃないのだろうか。確かに昔からの紙のバインダーは減った。しかし紙であったがゆえに、置き場に困ることから、その文書の保管期限を決め、ファイリング担当を決め、必要なことと、そうでないことを工数をかけて選択をしていた。今はといえば、いくらでもデジタルデータは保存できるために、文書(データ)管理は大変ルーズになってしまった。さて、この昔と今日の方法はどちらが良いのだろうか?ちょっとしたメモでも20年前のメモが捨てられない私には、今日の無制限ともいえる記録の方法が気に入っている。これはコンピュータの恩恵である。一方で困ったことが起こってしまった。それは、探せないという問題である。かつては、その場所にバインダーが無ければ、もう焼却されたものと素直に理解できていた。しかし今日は、どこかにきっとあるはずであるとスッキリとできなくなってしまったことだ。ゆえに、どのように記録すれば後から過去の思考を見つけ出せることができるのだろうかということに興味を持ってしまったのである。
メモの方法についての勉強
あの時からずっとこのテーマを考えることを楽しむようになってしまった。そんな中で最初に知った先人は南方熊楠先生の存在だった。この先生の執念や情熱も探究心も凄まじさのある博物学者であったようだ。そもそも博物学という言葉はその時初めて知った。恥ずかしい体験であった。関心が湧いて、その後、和歌山にある記念館も訪問した。もう1人が川喜田二郎先生。さすがに、先生のKJ法は若い会社時代に教えていただいた。実際にカードで実務に使っていた。最後にもうひとりの先生。知的生産の技術で有名な梅棹忠夫先生である。この3人の諸先輩の書籍が私の近年の思考を変えたと思う。では、50年前に出版された先生の本にある方法は今日どうなったのだろう。先人達の思想をその後私達はどのように進化させることができたのだろうか?私はこのように疑問を持ち、IT技術と関係させて解決方法を研究してきたのである。
グローバルものづくりのSQCDデータ項目の全体定義
最初に手掛けたことはものづくりの仕事の中での気づきをQCDに分けて記録することや、製品開発から生産までの業務をセットメーカーから部品のサプライヤーまでグローバルな業務に用いることのできる業務定義体をRDBに定義した。これはA4バインダで1冊分にびっしりとkeyと属性項目を記述してみたのである。どこまでの詳細化を行うかについては、前職で経験していたエンジニアリングの粒度で記載した。いわば、ものづくりデータのマスター化である。品質、生産性、リードタイムだけでなく、在庫、原価、工程、作業、検査、物流など考えられるマネージメント対象を網羅させた。この時、気づいたことがその後の考えの原点になった。
多くの分野の詳細化を進めていくと、断片しか日常的に捉えられていないことが良く分かった。
世の中のものづくりシステムは、このような理由で分類の見直しやテーブル構造を修正してきている。その時、気づいて項目追加とソフトの改造をしているのはこのことが要因なんだと分かった。例えば、品質管理、物流管理、生産工程管理、設計管理、生産管理など個々のシステムが個別に開発されている。異なる分類や粒度を持つデータを扱っているので、データの連携などは不可能になっている。それでも、そのことを抜本的に構築し直すのは容易ではない。この状況が30年も続いている。この先、このことをどのように解決するのかを早急に行う必要がある。デジタルトランスフォーメーションDXという取組は、このようなデータモデルの見直し無くしては進まない。
DXを進めるならば、この全体定義は必須である。
私は大胆にも、この壮大なデータモデルを設計してみたのである。その後、このデータモデルをいくつかの企業に紹介したことがあった。しかし、それは残念ながら理解されなかった。というよりも、全体を役割とする責任者がいなかったのであった。本来は情報システム部門の全体としての機能だと考えられるのであるが。
もう一つの問題は、それぞれのシステムは、今、業務として運用していることのデータが扱われていることである。つまり決まっていることだけが、そのシステムの対象になっている。ものづくりだけではないと思うが、仕事は日々変化していくものである。そして管理も詳細化されていくものである。そうでなければ、その仕事は効率性やスピードにおいて進化していないことを意味するからだ。であるから、システムはすぐに改造が必要となる宿命にある。しかし、人はこの困難さを避けたがるものである。これにより、仕事は硬直化し、皆で諦める風土がはびこることになる。だからDXだと騒ぎたくなる。DXの考え方についてはこちらをご覧ください。
全体最適とは一体なんだろう?疑問を持つべし
さて、良く使われる全体最適という言葉も、その言葉そのものが曖昧である。どこまでが全体だとするかはどのように決められているのだろうか?それは地球最適とでも言えば、なんとか範囲が共有できる気もする。このように私達の社会は、どんなに頑張って定義しても部分的になるだろう。また、どんなに深く考えてもまだまだ知らないことがあるのである。
つまり、明確に定義ができない対象をシステム化するのであるから、データ構造変化の自由度の高い柔軟性のある方法を見つけるしかないということが私の考えの基本である。しかし、既存のデータを利用できることも必要である。
このように仕事のデータモデルを考えることは、人の思考プロセスに踏み込まなくてはいけない。そして、それをデジタル化するには、思考の記録方法をどうすべきかを考えなければならない。つまり、コンピュータに知識をどのように記録するのかを考えることになりました。
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