遠隔地医療における誤解やミスのでないカルテの必要性
遠隔医療はどこまで進んでいるのだろうか。プライバシの問題から、進みにくいのだろうか?もっと別な理由で一般的な新規参入が難しいのではないだろうか?この問題はさておき、私達の自身の健康状態についての情報はもっと蓄積活用されるべきと考えている。
持病のある人は転居し、医者にかかる度に再検査を繰り返される。患者の心配毎は、今までの医療措置は適切だったのだろうかということである。実際、小生も、もっとその手術の前に受診をしていただいていたら、違う結果になっていたと思いますよと医者から言われたことがある。
セカンドオピニオンの意見は、もっと広く知ることができないだろうかという希望もある。
MRIの結果も転院のたびに取り直し、再度の撮影は仕方ない事であろうが、過去のMRIの結果とも比較して説明して欲しいと思った。医者がMRIやレントゲン写真に対して、病巣と認識した場所に特徴点を設定し、そこにカルテを書き込めば良い。それが時系列で比較判定すれば、病気の進行度や他の場所での転移などは一目瞭然となる。それが、ある医者での情報だけでは折角のこれ以前の医療診察行為が効果的でなくなってしまっている。
医者の仕事は病状の把握と知識と判断の正しさだと思う。やはり経験の多さは必要で、そうは言っても、経験不足の人にも正しい判断をしていただきたい。人命に関わる重要な役割なのであるから、一番に、医療知識データベースを進化させるべきだと思う。
病状はいくつも現れる。その中から疑われる病名も複数ある。病状が現れる前の生活スタイルや事故なども要因の1つとして考えるであろう。このような場合に、正しい判断を支援するシステムがあれば良いが、それには、個人のこれまでの健康、医療情報が蓄積されている必要がある。
その時のためだけの記録ばかりであるが、仮にそれらが蓄積されていたならば、どのようなことが新しい可能となるかを考えるべきである。結局は、用いる言葉など文章表現が自由に行われる記録に対して、必要なこと、知りたいことを記録して検索する方法が必要になってくる。
現物映像と観察対象部位と診断の一体的なデータ管理の実現へ
私は知識の記録方式を研究する中で、検索そのものに難しい方法を採用しても、その結果に満足は得られないだろうとの立場に立っている。詳細な分類=言葉の定義は万人の記憶として共通にはならない。万人が記憶できる範囲に言葉の定義は限定的であるべきだ。もう一つの視点は、記録する時の方法が重要であるということ。一つファイルとして独立した記述は人が思考していることとは異なるものである。人の思考の一部分だけを切り出して文書ファイルに記載しただけの記述は、他者からwhyが読み取れない。そこまで丁寧に書くことは非効率であるから書かれることは少ないのは当然である。
ckweb2システムの特徴点による多重関係性とその理由の記述の方式は、過去の他者や自分の知識の上に関連させる方式のため、あらゆる意見や診断を排除せずに記録されるメリットがある。何よりも知りたいことの検索がビジュアルに検索範囲を外側から絞り込む方法であることもメリットであると考えている。