製造業における知識の記録方法のあり方とは

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小説家はクリエイティブな仕事だ。それも1人きりで。その物語の構成の作り方や書き方については私は知らない。きっと全てが文字だけ書いているのだろうと想像している。漫画家とは違って絵などが先にあるのではないと思う。いや、漫画家はストーリーがやはり先にあり、文字よりも絵で物語を作るのかもしれない。

 知識の記録方式について考え、書き始めてから、型にはめられたアプリなどのツールでクリエイティブな仕事ができるのだろか?。そしてフォーマットを埋める式の事業計画、ビジュアルな絵ばかりに考えがいくプレゼン資料作成ソフト、文書書式の設定が面倒な文書作成ソフト。これらは、人の思考の集中力を遮ってしまう方法のツールであると思えてならないようになってきた。

 紙の原稿用紙に縦書きで記入するスタイルが、考える事だけに一番集中できるのではないだろうか。文章だけを連続的に書いていく事ができるからだ。文章を書きながら、いろいろ考え、想像して、仮説を考え、検証する。そのプロセスそのものを文に表現することで、適切な言葉を選択し、文の流れを決定する作業に没頭できるからだ。本来、誰でも邪魔されずに、自由に文章を書きたいのだと思う。

 人が思考を記録するには、文字だけを形式にとらわれず、自由に書く方法がよいだろう。そこにはフォントやそのサイズ、色などの装飾に気を取られないことが気楽でよい。書くことにおいても単純化されている方がストレスがなくて良い。人はいつのまにか単純な世界を複雑化し過ぎて、そのことに対して、本当に面倒なことなのに我慢していることに気づいていないのではないかと思う。

 前号のものづくり企業における、人と組織による仕事の複雑化の問題とも似ている。複雑化している組織に気づかず、組織間の仕事に手を出さない傾向があるのではないだろうか。このようなことが企業の中にはびこると、決定される結論はおかしなものとなる。

 人はもし万能であれば、一人で仕事をすることが一番生産性が高くなるだろう。人が複数人になれば、ものごとの決定に時間がかかり、その決定されたことも、ゆがんでくるかもしれない。企業も一人で運営するのが最高の生産性になるのだろうと思う。したがって、情報システムは、多くに人で構成された企業でも、あたかも一人で運営されているようにできないものか。

 小説家がたった一人で大作を完成させるように、自由に書くだけで、企業の業務意思決定を行う方法を研究している。それえはテキストを書くだけの方法が単純化していて良いのではないかと思っているがどうだろうか。


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