地図から学ぶ歴史と文化と思想は知識の記録方式の良い活用例

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歴史を学んだのは高校生の時で最後であった。その後は歴史小説などを読むくらいで、歴史ということをじっくりと考えたこともない。最近になり、過去にこんなことがあったのかということを知ることがあった。それは50年位前の事件であった。その頃は中学生であったにも関わらず、私の記憶には何も残っていなかった。

 印象の強かったことは、記憶に残るものだ。喜怒哀楽というか、喜びや憎しみ、成功や失敗を強烈に感じたことは忘れないものだ。一方で、自分には関係のないような過去の史実は学生の頃、勉強で丸暗記していたが、これらはほとんど記憶から消えてしまった。当事者として関与していないことは記憶に残らないものだ。

 今現時点のことも数秒後には、過去のこととなっていく。過去は時の経過と共に着実に作られていくので、記憶しようとするならば、増え過ぎてパニックになってしまうだろう。人は適当に物事を忘れていくから、新しいことを少しは覚えることができるようだ。

 重大な自分の喜怒哀楽については、これからも忘れることはないだろうと思う。これは何故なのだろうか。体験することは記憶に残りやすいということなのか。何百年も前の歴史は体験ができないので、どうしたら覚えることができるのだろうか。

学者の方々は歴史上の人名なども、ものすごい知識を披露してくれる。体験していないことを、何故記憶できるのだろうか。仮説として、試験勉強のような丸暗記ではなく、人物の行動、思想、意義などの内面的な事柄を、当時の社会環境、勢力圏、生活様式、文化などとからめて、自分の推察を論理的に組み立てようとするからではないかと思う。自分ならどう対処しただろうかなど体験をしているのだと思う。

 論理的であろうとすればするほど、未知のことに気づき、そこを深堀していく。そしてまた、分からないことを知ろうとし、理解の範囲を広げていくことが脳の体験となっているような気がする。人は考え続けなければいけないのだと改めて思うのである。

 歴史を記録するには、その時代の地図が絵となり得る。主に歴史は人の行動の結果である。どこに居たのか、どこに移動したのかなど、地図上に行動を表現するれば良く記憶に残ると思う。地図による歴史の勉強の仕方として、もっと若い時に気づいていれば良かった。

地図は時代と共に変化してきた。人の行動と地図の変化の背景・理由(why)を考えると面白い学び方ができると思う。教科書はそのようなことを促してはくれなかった。これからの歴史の勉強は、地図の変化の裏にある何故をいろいろな角度から調べ直すようなことが良いのだろうと思う。

 過去の思想と結果を理解して、人間の欲や過ちや感動的な良さなどを知ることは宗教にも通じて、科学にも通じ、学問の境界を超えていくことになるだろう。世界地図を机の上に置きものごとを考える。

その世界地図は過去の時代の代表的な国の区分が必要。これがIT技術で解決すれば良いだけである。それを使って、どの地図のどこからスタートしても良い。学問には境界がなく、知的好奇心と倫理観があれば、インターネット上の情報にも惑わされずに過去の歴史から思考することができるようになるのではないだろうか。

もう、小生は残念であるが、気がつくのが遅すぎた。


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