予め予測することは、社会において避けて通れない手続きである。いつからであろう、TVで企業のトップによるお詫びの謝罪会見が始まったのは。いつも決まって黒のスーツを見にまとい、頭を垂れ説明するが、そのことで問題は解決することはないのはみんな分かっている。
ここ20年位の間、このような謝罪会見が増えているように思える。個別の事例を出して批評するのが目的ではないので、踏み込んだ意見は述べるつもりは無い。ものづくり企業だけでなく、保険会社やサービスの企業の例もある。何故、このような問題を起こし、それをどのように再発をしようとするのかは他山の石とすべきである。どうだろう、事例集を公開して、その再発防止策を皆の知識にしてみないか?
発生した問題は、ずっと何年も前から行われていたことが多い。組織の誰かは気づいていたか知っていたはずだと思うことが多い。どうにもならない状況になって謝罪会見に及ぶということは、それ自身が問題である。でも過去のことは責めても過去に時を戻せない。執拗な追及はなされない。おとなであるからだ。
組織は人で構成されて、役割を分担して機能するものであるから、どこかを個人の責任に任せなければ、生産性は向上しない。個人を信頼して、問題を未然防止する予見力をどう仕組みにするかは重要なことである。チェックばかりしていては、物事が進みにくい。何もチェックしなければ、ミスが起こる。業務プロセスの中で、どのようなタイミングでチェックを行い、そのチェック内容などは標準化される必要がある。
人はミスをするものだという原点に立ち、個人の責任としないように、どのように、どのようなタイミングでチェックを行うのかを決め、チェック結果を皆で確認し合うことが必要である。個人に反省を求めても失敗する風土は治らない。
上司が時間が無かったので、チェックが行われなかったと言うことのないように、スケジュールに自動で組み込まなければならない。人はミスをする前提で、企業は、どのような仕組みを持っているかを説明できるだろうか。働き方改革とは、このような仕組みをまず先に作る事だと思っている。オフィスのレイアウトやPCの整備などの形式主義では何の為の改革なのかと疑いたい。
世の中のいろいろな事が形式主義で済まされているようなら、それは改めなければならない。そして、その主義に慣れてしまっているならば、私達自身の頭を元に戻さなければならない。
IT関係に長くたずさわっていると、道具の導入だけになってしまう企業が見られる。ITを仕事に生かすには、ものではなくコトをどうするかであり、一番重要なことは、社会的責任を担保できる仕組みになっているかどうかである。人はミスをするのだという原則に立って、予見できる仕組みを保有すべきだと思う。
予見ができる仕組みを構築するためには、業務プロセスと判断ルールが標準化されていなければ難しい。判断結果は共有され、判断に関する皆の意見も共有記録されなければならない。要するに企業の業務知識がIT化されていなければならない。