芸術家だけではなく、小説家も、社会人も何かをやり遂げようとして努力を続けている人は、その道において、少なからず、このようなことを守り抜きたい、悟った、このようにありたいと言うような境地に至るものである。それは、幾多の試行錯誤を経て、年月を経て獲得することができることと思う。
最初は、先生や指導者から育成指導され、失敗もして到達する自分だけの領域を発見するに至るのであろう。それには、情熱というものが必要であるが、これが継続しないので困る。
先日、山本寛斎さんのドキュメンタリーをTVで見る機会があった。確か“苦しい時でも、道はある”といった題であったと思う。特別に服のデザイナーに興味を持っていたのではないが、その題に惹かれ見入ってしまった。
私は山本寛斎さんの生い立ちまでは知らなかった。とにかくガッツのある人だったと感心してしまう。スーパースターが苦労もなく、その位置に到達したのではないことで、尊敬の念が沸き起こったのは私だけではないだろうと思う。
山本寛斎さんは若いデザイナーの発掘と育成に貢献していたことを初めて知った。とにかく尖って個性を大事に、屁古垂れることなく、必死になどの言葉にあるように、行動と思考が一致した方であったと感じた。
翻ってみると、このような熱い方が、どんどんいなくなってしまっているように思う。経営者の中にも熱い方が本当に少ないのではないだろうか。自己を捨て身で、社員に対している人が少なくなっている。表層的な売上高や株価などに視点が移り、社会にどのように貢献しようとしているのかが伝わってこない。
一度発言した方針を、いつか語らなくなっている。そのうち忘れてもらえるだろうと考えているならば、多いに反省して欲しいと思うのである。このようなことが、いつ頃から始まったのだろうかと思うと、インターネットが世の中に浸透し始めた2000年前後のように思える。あまりにも表層的なビジネスが乱立してきたように思う。特に人を介さず中抜きのような、ITインフラを競争に使っていることは残念でならない。
そこには心や情熱が人に向けられていない。企業は社会貢献であるべきで、その結果として収益が入るのだと思う。社会貢献的な発言をしているが、実業は、単なる物売りやサービスでしかないことになっていないだろうか。このようなことも自由なのだから問題はない。
しかし、それでは、人の社会は崩れていくのではないかと心配している。境地と言うと、それは個人が至る心かも知れないが、長く企業に勤める社員が、何らかの境地を獲得することなく過ごすことは多いにもったいない生き方ではないかと思うのである。境地の事例が公開され、企業人のマインドを見聞きする機会がもっとあると安心することができるかも知れないと思う。
山本寛斎さんの活動は、デザインされた服と日本元気プロジェクトに明確に記録された。そのプロセスを一緒に携わった人達の心にも、しっかりと刻まれている。このような境地の記録が動画と語りでの紹介は大変分かりやすかった。