登山の魅力は黙々と頂上を目指して登ることで得られる達成感と爽快感。日本百名山の写真集を見つけると、登ってみたくなる気になる。厳しい絶壁に張りついて、一歩一歩足を運ぶ無の境地。きっと下界の苦悩は考える余力もないだろう。何かに集中するとこのような心境になるものである。
どんなことでも集中できることや物があると良い。日常生活のストレスを和らげる事ができるからだ。絵を描く、器を作る、本を読む、スポーツを観戦する、掃除をするなど何でも集中できることを見つけることを勧める。要するに忘れることができなければいけないと思う。今の時代はインプットが多すぎる。その多すぎる情報に漂わされているような気がする。
インプットしたくもない情報を知らせれることは何とか無くせないものかと思う。だから山に登って無心になると気持ちが入れ替わるのではないだろうか。現代人はインターネット環境に染まり過ぎている気がする。私も完全にその世界に入り込んでしまったひとりである。
インターネット環境から逃げる手段はと言えば、電波が届かない、電気の無い場所に行くしか無い。そうでもしなければ、ついスマホを手にしてしまうからである。ゲームをするのではなく、SNSに誰かが投稿していないだろうか、メールは来ていないだろうかという行為を毎日、何十回も行なっているのである。
インターネットが無ければ、そのような過ごし方をしなくて済む。今、自分に欲しいのは、そのような環境である。それには、自分自身で努力して耐えなければならない。かえって耐える事がストレスになってしまうのである。もはや逃げ場のない状況になっていると思っている。
仕事と仕事でない事の境目が無くなってしまったと言える。仕事のようにスマホを操作することと、遊びのようにスマホを操作することの区別をつけれない状態になっているのである。ある時仕事の関心に操作され、そのうちに遊びの関心に操作が移っている。このような事ができない場所として、登山がある。このような考え方は純粋な登山家にはおかしな動機に思われてしまうだろうが、インターネットから逃げるには登山が良いと思う。
登山をするにも準備やルートの計画は必須である。そのような事に集中する期間も作れてくる。その間、少しでも目的の薄いネット検索は減らす事ができる。今日の生活は、いかに自分が集中できることを見つけられているかどうかでが大切であり、貴重な時間を有意義に過ごせているかを決める1つのパラメータになっている。
このようにインターネットから隔絶された環境に身をおける場所を求めているのが、最近の自分であると認識している。外部の電波を遮断した場所が都市の中に作られても良いのではないかと思う。