現場観察と知識の記録により製造業のDXを加速する

ものづくりという領域において現地現物と知識の記録方式の関係について説明する。

 ものづくりでTPS(トヨタ生産方式)は何をやっているのかと言えば、現地現物の確認である。オフィスで考えたことなど、ほんの一部に思考が留まり役に立たない。現地現物でフィールドの探検をし、その後、サイエンスに持っていくことが必要なである。サイエンスに持っていけていない企業が多いと思う。

 人の思考力などはまだまだ進歩していないのである。そして記憶力も特段の進化をしていないのである。その中で、進んだ業務、商品化ができる企業と、できない企業の差は、その構成メンバーの能力や組織力の差である。皆の知識を整えることは組織における意思決定が正しい方向に向いていくものである。

 知識差のある構成メンバーや組織間では、信頼にたる能力やリーダシップを周囲から認められていない状態では、間違った意思決定の繰り返しになるのである。日本のものづくり企業はかなりの企業で間違った意思決定の状況にあるのではないかと推察している。これは企業規模の大小に関係しないものである。

15年間のコンサルの中でも、上場企業でも呆れる発言を多く聞いてきた。このようなことが、欧米の新事業や新ルールの後手となっている要因ではないだろうか。


 
 以前、自動車会社に務めていた時、工場における改善事例を工場間で共有し、その横展開の状況を可視化した改善事例システムを開発し利用した。学び合う風土は大変良いものであった。


 どんなに風通しの良い職場でも人の真似をしたくない、自分の考えが正しい、人の意見を聞く必要はない、相手のいうことが分からない、腹に落ちないなど個人の気分で組織運営するマネージメントはたくさんいる。昔のマネージャは割りとこのようなことをはっきりと発言してリーダシップを発揮していた人が多いと思う。

しかし、それができた理由は、マネージャー自身が人1倍の努力をしていたと思う。工場の現場をいつも歩いて、観察をしていた。その結果を組織に問いかけし、自分で答えを持って、組織運営していた。
 
 ところが、今日の製造業はどうなっているのかと思えるほど、実力が低下しているように見える。表層的な学びや思考で組織運営するマネージャが多すぎる。その姿を見て、それを真似する若い人が多すぎる。

 このように考えて、かつて読んだことのある知識経営のすすめ(野中郁次郎/紺野登 ちくま新書)の本が思い出された。この本は学者が書いているものであるが、私は実務者が知識をどのように蓄積するかという研究で特徴点記述法を見出してきたものである。特に著者の場の話は共感できる。そして特徴点記述の発見がそのIT的手法ではないかと思っている。

テレワークは働き方改革の基本。テレワークを実現するために何をすべきか?

新コロナの感染者が三度増加してきている。このような山を何回も越えなければいけないのか、ワクチンが効いて数年で収まってくるのか検討もつかない。少なくとも、来年も同じ危機意識で生活をしないといけないことは間違いの無いことだろう。

 人の往来が減れば、感染者は減っていくということは事実であるだろう。人が往来しなくても仕事ができるようになったら、それは、どの程度まで感染者が減るかは推定できてもおかしくないだろうが、感染者の増加予測ばかりしかし世の中には公開されていないのだろうか。

 テレワークができなくて、職場で働いていだだけないと、社会インフラが止まってしまう職業に従事している方は移動が必要だろうと思う。ならば、それ以外の職種の方は、何パーセントになるのだろうか。その人達が、しっかりとテレワークに取り組むことも、立派な社会貢献であると思う。このままでは感染者が増えるとの言い方だけではなく、このようにすると、感染者はこれだけ減るとの複数のアイデアと効果を説明してくれれば、もっと行動変容に対する皆の意識は高まると思う。

 テレワークができない理由は何だろうか。特別に顔を見なくても電話やメールで相談もできるだろうと思う。資料が会社にあることが問題なら、クラウドに置けば良い。そのコストが負担ということなら、公的に負担をすれば良い。テレワークが可能であるはずの職種なのに、テレワークができない理由は何をはっきりさせ、その課題を解決することを行う政策が見えない。企業に任せすぎているように思える。企業は企業や個人と結びついて生業ができているのであるから、一つの企業だけではテレワークができない課題を解決できないはずである。

 日本はITの活用が下手だとか、労働生産性が低いと思っているのであるから、このような動機がある時にテレワークにより生産性向上を図るべきだと思う。ハンコの押印だけがテレワークのブレーキとは思えない。もっと、見直すべき古い風習や文化が隠れている。私の知っている企業では、今でも決裁書類に20人位の押印を行なっている企業がある。ここまで押印すると、それぞれの責任はより小さな範囲となり、個人能力は成長しなくなる。大きな責任を持たせて経験させることが成長につながるはずである。失敗を恐れて、その責任を負わない風土には、このような事例が見られる。

 もう一つは、企業自ら、ユーザー自らシステム要件書が作成できないのではないか。私はものづくりのコンサルとITコンサルの両方を行なっているのでよく分かっている。いつの間にか、ものづくり企業はシステム要件を外部依存してきてしまった。まずは提案を持ってきて欲しいという話が多い。企業は自ら何をやりたいのか、それはどのようにしてできると考えているのかを文書にするべきだと思う。

 外部依存を始めると、それを受けるベンダーが増えてくる。考えないエンジニアが増えてくるだけで、企業に人は育たない。テレワークを進めたいが、実務が企業内でどのように回っているのかの文書すらない。そうであるならば、まずは、自部署を中心にして、前後工程(組織)とのインプットとアウトプットを整理することを進める。その時に自部署の役割や価値を良く考え直すことが必要と思う。以前にも述べたが、業務が単純化の方向で行われているかを自問自答することは、どんな環境下においても重要なことだと考えている。

製造業のIoTは目的が大事、人の仕事の自動化が進まなければ効果は出ない。

 IoTやDXという言葉がメールマガジンなどに数多く登場している。いずれもIT技術で業務の自動化をすることだと思っている。自動化と言っても、小さな自動化に視点が向いていないか心配である。むやみにデータばかり取得しても、何か新しい発見があるかと言えば、科学的、論理的に説明のできないことが表現されるばかりではないだろうか。いかなる発見も仮説に基づいてなされるものと思う。

 したがって、何を知りたいのかを明確にし、その為に、どんなデータを取得すべきかを考えることが必要である。データを取得するセンサーはどこに配置すべきか、どんなサイクルで取得すべきかそれを他のどんなデータと処理を行うのかなどを考える組織とそうではない組織とでは、成果が全く異なるのは当然だと思う。

 もう一つはwhyだ。なぜそれを行う必要があるのか、本当に効果はあるのか、どれだけの工数削減になるのか、企業の生産性は30%以上向上するのかを考えるべきだ。まずやってみるということに反対はしない。しかし、やる前に分かることが多くあるはずで、なぜやってみようとするのかを問いたい。

 まずやってみようとというならば、何のためにまずやるのかと言う理由を明確にすべき。チームの意見が纏められない時にリーダーはこの言葉を良く使う。そんな時、リーダーには自分の金と工数でもやってみようとするのかと確認することにしている。この行動は、一種のマネージメントからの逃避である。

 なぜIoTがマネージメントの話になるのかと言えば、IoTの指標は工数低減であるからだ。工数と投資とタイミングの責任はマネジメントにある。IoTが進まないのはマネジメントの意識が希薄であるのではないか。それを担当に任せていても進むものではない。担当は自分の守備範囲を決めて仕事をするしかないからだ。マネジメントは組織や守備範囲を超えて仕事をするものであるからだ。

 IoTは組織横断的テーマを持たなければならない。組織と組織との間の考え方のつながりが属人的である。ベテランにより正しかろう判断で組織間の問題解決を行なっているのが現実である。


 IoTが自動化を組織間の問題解決に適応させようとすると、このベテランの判定を自動化する必要が出てくる。実際に行っていることが本当に価値があるのかを考え、価値が無いならやめればいい。価値があるなら、その方法の良否を分析することが必要である。重箱の隅のようなデータがばかりを比較していないだろうか、もっと大きな観点でデータを見ることで十分な結論に至ることもある。

 IoTは目的ではないのであるから、何を解決したいのかをしっかりと共有し、無駄な工数や投資を減らすことが必要だ。そして、この議論は一企業だけ進めることができないこともある。サプライチェーンの中での生産性向上を目指さなければ、目的が達成できないこともあり、実は、この達成できない目的が企業の生産性を低下させていることもある。例えば、品質の確保と維持がそれであろう。

製造業のDXに使える知識の記録には写真が優れている理由とは。

写真を撮ることは日常的で老若男女にて習慣となってきている。これは、記憶をするよりも記録をする方が楽であることが社会共通の認識となったのだと思う。
 もちろん携帯スマホにカメラが付加されたことと、それにテキストが書けて、他者と共有できるデバイスの役割が大きいことは言うまでもない。

 若い人の行動を見ていると店に行っても食事の写真を撮っている。服屋に行って試着時の写真を撮り、第三者的な観察をする。TVの画面も写真を撮って、後で皆と見て楽しむ。TVに映っている情報も写メを撮って記録する。手書きでメモするよりも、間違えることなくシンプルな方法である。

 私はスマホを一番使うやり方は、本や雑誌などの新鮮な記述や観点を写メして保存している。必要な場合には文字認識しテキストで保存している。これらのデータは、ckweb2 に保存している。CKWEB2の詳細はこちらから。
その後はカテゴリーに分類している。実はこれがちょっと面倒である。分類の中を時々眺めて、考えたことを写真の中に特徴点記述によりテキストを書き込んでいる。

 写真は同時に撮影時刻と撮影位置座標を記録してくれる。この基本情報が情報の検索に大いに役立っているのはスマホのアプリを見ていると良く分かる。

 しかし、私が写真を分類する時に、何かが基本的に情報が足りない。人は撮影しようと思った時に、なぜそれを撮影しようとしたのかを意識しているはずである。やみくもに撮影しようとは思わない。例えば、きれいな景色だなとつぶやいたら、景色というタグがその写真に登録するようにしたいと思う。これだけでも、その後の整理が効率化する。

 後で写真一覧を見て、これはなぜ撮ったのだろうかと思うことが時々ある。結局は、撮影した瞬間にその目的を記録しないと、後に面倒なことになるだけである。タグは間違いのないように付加したい、そしてそのタグがついたものを完全に全てを表示させたいのである。おおよそこんな程度の検索精度というのでは、信頼性が不足して活用できないからである。

 記録とは、その瞬間にその気づきを写真と共に保存できるようにしてこそ価値がある。だから製造業には写真の記録が必要である。

製造業のイノベーションを進めるための幼児教育のあり方とその後の教育とは

企業での人材の育成よりも、幼児教育から創造性と社会性を持たせる教育を公平に

企業に入ってから、基本的な対人関係や社会通念などを改めて教育することはおかしなことだと考えている。もっと、若い頃から、精神的な面を鍛え成長させる必要があるのではないだろうか?

ものごとに対して、自分の意見をもち、発言でき、周囲の意見との違いを理解でき、和を持てる人が社会に出てきて欲しいと思う。

このようなことは、幼児教育から小学校の期間で身につけるべきことと思う。そうでなければ、欧米の自由闊達な精神に遅れることを続けてしまうのではないかと思う。

弊社は知識の記録を研究しているが、知識を身につけ始めるのは幼児期から小学校の期間と言われている。どのようにして幼児たちは知識をみにつけていくのかを知ることは製造業の人材育成においても参考になると考えている。

幼児教育について考えたことがあるので紹介したい。躾や社会のルールではなくて、勉強をどのようにして教えることができるかを考えたことがある。それもスマホなどのデバイスを用いてである。

 幼児の教育は、社会の中で格差を生んでいる。小学校は義務教育なので平等に機会は提供されている。しかし、小学校1年生になる前には、字が書ける、数の足し算ができるかなどについても、既に差が出てしまっている。

 私立小学校を受験する子供達は、もっと進んだ学習を行なっている。或いは親が子供の勉強を見る時間を取れるのであれば、少しは進んだ学習を付き添ってあげることもできる。経済的に余裕があるならば、学習塾に通わせることもできる。

 しかし、今日は、両親共に働かないといけない家庭や片親家庭も多くなってきている。その子供達は保育園に預かって貰うことが多いと思うが、学習は進んでいるように思えない。このようなご家庭の子供達に、もう少し学習の機会を与えることができないかということが幼児教育を研究した背景であった。

 そして既に小学校の1年生時点で、学んだことの範囲に差がある。知識の記録は、結果として若い人達や子供達に利用されなければならない。それが国力をつけることになる。知識を利用する為には、幼児教育においてまずは、利用できなければ、それ以上の価値を期待できないと考えたからでもある。

 本題に入ると、昔も今も絵本がある。ビジュアルな分かりやすい物語を伝えてくれるものである。そこには文字はほとんどない。物の名前を覚えるにおいても絵である。嬉しさや悲しさを覚えるにおいても絵からである。やはり絵からでしか人は理解ができないということだろう。絵が共通の概念を伝えるものである。

 ものの名前は絵から学ぶ、数も絵から学ぶことができる。親から聞く音を覚えて名前を覚えるのだろう。そのうちに、音とひらがなとの一致を理解し、ひらがなの書き順を覚えるのだと思う。何も知らないことからひらがなを覚えるプロセスに知識の記録は役立つ必要がある。

 それには、幼児の興味や関心の先にブレーキをかけない方式であること。興味があれば、先へ先へと知ることができる教材でなければならない。疑問があれば、その説明がなされること。国語、算数、理科、社会の関係が区別されつつも、学ぶ順序においても既知の事の上での関係性と整合性が保持されていること。身についた知識にプラスαを加えた知識へと自動的に展開されることなどを要件として開発した。動きを必要なら動画を用いる。アニメーションも有効に使う。極力、選択肢による回答は避けること。などを知識の記録方式の上で研究し、適合性の確認をしたので、機会があれば、正式開発を考えている。