製造業の働き方改革は知識の共有化から進めることが近道である

属人的な業務スタイルは人間関係がなければ知識は個人持ちになるものである。

エンジニアリングにおいて、属人的である事は今も手を打てていない。これではいつまでも個人の保有するノウハウこそが、価値であると言うことになってしまう。ノウハウを活かして、何をするのか、どんな問題を解決したのかが価値である。技術者の人事査定を行った経験からすれば、ノウハウがある=ある仕事を経験しただけでしかない方は、ノウハウを持っていない。ノウハウは具体的なことを経験した上で、一般化されて知識になっていなければならないそして、そのノウハウを積極的に他者に語らなければならない。自らの内に閉じ込めていては、社会に貢献できない。
 つまり、何かを解決することができたならば、その過程で、いくつかの問題や壁に直面したはずである。その時に、どのように考えて、解決してきたかを他者に伝達することが大事である。この問題解決力が成果の次に評価されなければならない。どんな難しい問題を解決できたのかを知らなけれならない。ノウハウは、このようなプロセスを経て、更に洗練されたノウハウに昇華される。ものの本を読んだだけでは、知識を知っただけでしかなく、ノウハウになるには実行して初めて、それは獲得できることなのである。実務に踏み込んでいかない管理者、現場を見ない管理者では、このようなノウハウの進化を進める事はできない。

知識の共有化はマネージャの仕事。積極的に共有する風土が必要となる。


 さて、これらのノウハウを伝えるには、できるだけ考えたことや文書を保存しながら仕事を進めるのが良い。プロジェクトが終わってからの振り返りでは、脳裏から経験したことの多くが忘れられてしまうからだ。毎日、何らかの事を考えて、人とも会い、現場を見て仕事をするのであるから、それらを途中で良いので状態を記録し、次は何をすべきかを付け加えながら進めるべきだ。例えば1週間経過して、その週の振り返りを行い、反省点を加えて、次回はこのようにすべきだをメモしておくことだ。この中に自分では解決できない従来からの課題や社会の変化により考え方を見直すべき点を刻み込むようにする。このように仕事を行えば、しぜんと協調性が育ち、リーダーシップも発揮しやすくなるはずだ。

派遣社員、ゲストエンジニアにも知識を共有することが必要である。

一方、もう30年くらい経過したことの1つに派遣社員が企業の戦力となっていることがあげられる。その質的な変化は、昔は定型的な工数消費的な仕事であったが、今では、設計や企画など、アイデアまでも外部依存している。ここまでの外部依存が常態化すると、正社員には管理業務くらいしかなくなってしまう。本当にこれで良いのだろうか?派遣社員の方がやられた仕事もノウハウを蓄積するシステムに共有されなければならない。このようなことが企業で行われていないならば残念なことである。

 他者にノウハウを伝達するには、このような仕事のプロセスに入り込んで細部を説明する必要がある。その時に文書だけでなく、図や動画を用いて説明しないと誤解が生まれやすい。文書や図や動画を関係付けて適切な順序で、伝えたい事を説明できるコンテンツを保有しなければならない。そして、仕事の中で起こった問題点とその対策も説明し、コンテンツに記載された事柄のWhyを伝達するように修正されていかなければ企業の生きているノウハウは洗練されない。

知識の共有化とセキュリティが担保できる情報システムを構築しなければ、製造業の生産性を向上しない。

知識の記録をすることで教育から学ぶ方法へ。ビックデータ活用時代の教育のあり方を考えたい。

教科書はもういらない時代へ

教科書を読んだだけでは理解されないことがある。人に聞いてもわからないことがある。人それぞれに理解の深さが異なるものである。学校では知識を教科書から得る授業が主体であるからだ。学びの方法は、この経験を通して個々人が身につけていくことになっている。学びの方法を身につけられていないことは、現代社会においては調和的建設的な生き方が難しいのではと考えている。
 リテラシーという言葉が使われる時代になった。新しく出現した概念やものについての理解や知識があること言うが、社会人となってから出現してきたことに、どのようにリテラシーを身につけていけば良いのだろうか。それは知的好奇心を持ち続けるしか動機づけはない。今、従事している仕事のはリテラシーという部分が存在していないこともあるだろう。世の中の情報を自分の動機づけを維持しながら興味関心を維持する事は容易な事ではない。ノーベル賞を受賞した方々は、きっとライフワークとして研究をされたはずだ。
 しかし、そのような研究的なことをリテラシーとは言わない。これから普通の常識として広がっていくもの事に対する、平均点に到達していない知識不足のことだ。私はリテラシーという単語が好きではない。今、世の中で使われているITリテラシーは、単にパソコンが操作できることの程度の使い方である。そんなことをわざわざあかるかどうかを横文字でいう必要はない。横文字にして、あたかも新概念であるかのように思わせて誤魔化されていないだろうか?
 操作の方法を知ったところで、それは作業方法を知っただけで、考えることがうまくなったこととは程遠い。学校での教育も、考える授業であるべきだ。考え方はいくつもあり、正解がない、あるいは、いくつもの解き方があるということを知り、その思考過程の中で、学びとは何か、学び方を身につけて欲しいものだ。きっとこの姿勢は永遠に続けられるしかない。学ぶ対象は宇宙のように膨大で膨張していくのであるから。

学び方を発見する教育へ

 子供の頃から、知識と学びは違うことであるを教えないといけない。頭でっかちと呼ばれる人は知識はあるが、自分で考えることのできない人のことをいう。現代社会において、この頭でっかちの火星人が増えているように思う。具体的な事象の上に学びが得られるはずが、事象を読んだだけでは分かった気になるのでは困る。インターネットにある文書をコピペして、いかにも自分の考えたことだと報告する社員がいる。インターネットの無い時代では、それはできなかった。ITリテラシーはあるが、何か大切な教育が欠けているのでは無いかと思う。

 学校教育にパソコンが入っている。学びという点でそのコンテンツは単に本のデジタル化に留まっていないだろうか?これはまた同じ頭でっかちを作ろうとしているのではないか?教科書を読んでも学びが得られない。このことに対する対策がパソコンを用いた教育の中で行われなければならない。このように問題意識をもって学習教材を考えている。

特徴点記録法により知識を自由に獲得できる21世紀の教科書を作りたい。

教育は事例の理解をたくさん行い、関連する事例に展開できる機能が必要である。それは、検索に依存する探すことを行う必要のないやり方でなければ、思考がそがれてしまう。知りたいと思えば、どんどんと広がっていくことのできる機能が必要である。習得する順番は規程されていても、その範囲は自由に広げられるようになっているべきだと思う。
 このようなことを実現しようとするならば、単に本をデジタル化しただけでは不可能であることは自明である。その中で何を思い、どのように考えたかを書き込む機能が必要である。そして、そのことを他者と共有して、同じ知的好奇心をもつ人達と議論ができる機能が必要である。これらの為には、お互いに知っていることを参照登録でき、その結果が絵本のように表示されなければならない。このような機能を実現する際にも、特徴点記述法は有効である。そして何人も同じ知識獲得の環境を平等に享受できなければならない。

知識の記録ができる方法の説明はこちらから。

製造業のデザインレビューの目的は潜在的問題点を顕在化し、関係組織にて解決し経営指標を高めることにある。

サプライチェーンの中の潜在的問題点の顕在化

仕事は問題と対策の繰返しである。計画通りに進まないのが当たり前。しかし、同じ間違いを繰り返す事は避けたい。デザインレビューを例に問題点管理の重要性と知識の記録との関係を説明する。
 デザインレビューで気づいたことは、その対象である設計図面のイメージ図に特徴点記録方式によって記録する。例えば、部品と部品との隙間を設計者は1mm で図面を作成したとしよう。2つの部品は、板厚0.7mmのプレス品としよう。さて、生産側はこの隙間を適切な寸法と考えるかどうかという視点が必要だ。それには、設計として1mmの隙間をどの位の公差で製品化したいのかを確認する必要がある。仮に、1±0.5mmなら、生産側は、バラツキをこの公差内に抑えることができるかどうかという判断が必要になる。
 生産側はどのような加工法を現在行なっているのかを知っていないといけない。更に、その加工法における工程能力も把握していないといけない。知っているからこそ、問題だと言えるのである。
 このように、ものづくりのサプライチェーンの中には、膨大なものづくりの知識が存在している。その加工工程を知っているのかどうかはデザインレビューにおける気づきの有無に影響する。ものづくりの知識は現場での体験によって記憶に留められるものだ。座学では、感覚は身につかない。しかし、全ての人がサプライチェーンの中の全ての現場を体験できることなど不可能である。会社も組織も機能分担されているために、そのような体験ができる事はあり得ないことである。

デザインレビューを通じて周知を結集し、経験を共有することができる


 そこでどのように擬似体験を行うことができるかを考える必要がでてくる。人は成長してながら、後任にバトンを渡さないと社会は成長していかない。これまでバトンを渡さない企業を何社も見てきたが、すべからく進歩の無い硬直化した組織であった。
 人は突然と何かを思い出して生きているように思う。それは新聞を読んでいたり、小説を読んでいる時や、絵画を眺めているとき、遠くを見ているとき、人にあった時、などいろいろな場面で起こりうる。その時には、目に見えた絵と結合しているように思う。だから、嗚呼、どこかで見たなあ、あの人とそうだ鈴木さんと、渋谷の駅でばったりと会って、懐かしい学生時代の部活の話をしたなあ、嗚呼、そうだ今、中村くんはどうしているかな?など、芋づるのように思い出が湧き上がってくることがある。この状態を知識の繭の糸を紡ぐと表現している。
 製品の図面を見ても、嗚呼、あんな失敗をして生産が品質不安定で苦労したなあ、、と問題点と対策が繭の糸を紡ぐように脳裏に浮かび上ってきて欲しいのである。

問題点は膨張するビックデータである。真っ先にDXで取り組むべきシステム化。


 このようにするには、図面と一体に問題点を記録するビジュアルな方法が周辺の部品の関係などからも、過去の記憶を呼び出せる。そして、そのような失敗を問題点として皆が記録すれば、他者の失敗にも具体的なこととして、理解でき記憶に留めることができようになる。失敗を個人の記録として解決できたら一件落着とするのではなく、未来のバトン渡しのために、発生した問題点をその失敗事例のイメージ図の中に記録させるckweb2 による問題点管理はマネジャーの役割だと考える。

製造業のデザインレビュー業務を効率化するツール:CKWEB2

デザインレビューは企業の技術判断のレベルを顕在化させる

デザインレビューはものづくり企業では一般的な取組みである。製品を開発する場面で用いられることが多いが、それ以外でも、設計とで製造着手の前に行われることも多い。今回は、製品設計の場面での知識の記録方式について記述する。

 製品設計図をデザインレビューする目的は、機能、品質、原価、デザイン、販売、サービスなど企業の多くの組織に存在する。その中でも、やはり生産側のニーズが大きい。どんな図面を描いても製造することができないようではどうにもならない。したがって、設計構想などの手戻りの少ない段階でのデザインレビューが有効である。図面が完成した段階ではデザインレビューの意味が無い。試作図という段階を持つ製品の場合は、当然、試作図が完成する前で行う必要がある。デザインレビューの失敗は、設計側の情報の出し惜しみと生産側の作る技術の曖昧さ、設計と生産との組織的信頼関係の無さによることが多い。

設計と生産部門の技術知識の相互理解がデザインレビューを成功に導く

生産側の立場では、デザインレビューをし初めて直面することがある。それは設計図を見て何を発言すべきか、その意見は正しいのであろうか、設計者に折角の図面を修正してもらう意味のある提案なのだろうかということに不安を持つはずだ。この仕事はベテランでなければ務まらないもので、生産の知識が不足している年上の管理者では遂行できない業務だと思う。
設計者は創造性を発揮して、製品機能を中心に検討し図面を描く。出図日程も原価目標も決まっている。時間との戦いの中にいる。一方、生産側は鋳造、鍛造、機械加工、塗装、溶接、組立などものづくりを素材から完成までのエンジニアリングを少なくともその製品について短期間に広い範囲で検討しなければならない。
まず、限られた期間の中で、生産側の安全、品質、コストに関する確認を終え、更に、その対策案を具体的に提示しなければいけない。従来は、そのやり方はチーム内でそれぞれが紙にリスト化したものを、重複、提案、却下、保留などに分ける。保留とはチーム内で合意できなかった事で、事実の確認などを生産現場で行うものである。これらを、整理した上で設計者と打ち合わせを行うのである。このようにデザインレビューは、意見調整、事例の調査、日程調整、対立意見の調整など、人のコミュニケーションを必要とする多くの工数がかかる方法であった。

デザインレビューと技術知識の共有は車の両輪である


この仕事はckweb2 に最適で、チームが同じ図(イメージ図)に特徴点を書き込むだけである。これにより重複は未然に防止できる。また、他者の意見も画面に見えるために、その場で調整が可能となる。チームで合意したデータは設計者に開放し、打ち合わせの前に図を見ながら理解してもらう。その結果をckweb2 にイメージ図の中に特徴点記録する。すると、個人が保有していた知識が記録され、他者の知識を共有できるようになるのである。テレワーク、海外とのデザインレビューにも最適だ。

遠隔地医療における安心なコミュニケーション手段の革新とCKWEB2

遠隔地医療における誤解やミスのでないカルテの必要性

遠隔医療はどこまで進んでいるのだろうか。プライバシの問題から、進みにくいのだろうか?もっと別な理由で一般的な新規参入が難しいのではないだろうか?この問題はさておき、私達の自身の健康状態についての情報はもっと蓄積活用されるべきと考えている。
 持病のある人は転居し、医者にかかる度に再検査を繰り返される。患者の心配毎は、今までの医療措置は適切だったのだろうかということである。実際、小生も、もっとその手術の前に受診をしていただいていたら、違う結果になっていたと思いますよと医者から言われたことがある。
 セカンドオピニオンの意見は、もっと広く知ることができないだろうかという希望もある。  
 MRIの結果も転院のたびに取り直し、再度の撮影は仕方ない事であろうが、過去のMRIの結果とも比較して説明して欲しいと思った。医者がMRIやレントゲン写真に対して、病巣と認識した場所に特徴点を設定し、そこにカルテを書き込めば良い。それが時系列で比較判定すれば、病気の進行度や他の場所での転移などは一目瞭然となる。それが、ある医者での情報だけでは折角のこれ以前の医療診察行為が効果的でなくなってしまっている。
 医者の仕事は病状の把握と知識と判断の正しさだと思う。やはり経験の多さは必要で、そうは言っても、経験不足の人にも正しい判断をしていただきたい。人命に関わる重要な役割なのであるから、一番に、医療知識データベースを進化させるべきだと思う。
病状はいくつも現れる。その中から疑われる病名も複数ある。病状が現れる前の生活スタイルや事故なども要因の1つとして考えるであろう。このような場合に、正しい判断を支援するシステムがあれば良いが、それには、個人のこれまでの健康、医療情報が蓄積されている必要がある。
 その時のためだけの記録ばかりであるが、仮にそれらが蓄積されていたならば、どのようなことが新しい可能となるかを考えるべきである。結局は、用いる言葉など文章表現が自由に行われる記録に対して、必要なこと、知りたいことを記録して検索する方法が必要になってくる。

現物映像と観察対象部位と診断の一体的なデータ管理の実現へ


 私は知識の記録方式を研究する中で、検索そのものに難しい方法を採用しても、その結果に満足は得られないだろうとの立場に立っている。詳細な分類=言葉の定義は万人の記憶として共通にはならない。万人が記憶できる範囲に言葉の定義は限定的であるべきだ。もう一つの視点は、記録する時の方法が重要であるということ。一つファイルとして独立した記述は人が思考していることとは異なるものである。人の思考の一部分だけを切り出して文書ファイルに記載しただけの記述は、他者からwhyが読み取れない。そこまで丁寧に書くことは非効率であるから書かれることは少ないのは当然である。
 ckweb2システムの特徴点による多重関係性とその理由の記述の方式は、過去の他者や自分の知識の上に関連させる方式のため、あらゆる意見や診断を排除せずに記録されるメリットがある。何よりも知りたいことの検索がビジュアルに検索範囲を外側から絞り込む方法であることもメリットであると考えている。