文化財のものづくり記録をデジタル化するには

文化についてその記録と伝承方法を考えてみたい。文化には建造物、絵画、彫刻、有形な物と芸能演技や工芸技術などの個人や集団が受け継ぐ無形の技術がある。今流に言えば、ものとコトの違いと言っても良い。どちらも物理的に存在しているので、誰でも見ることはできる。コトであってもも、その訓練や具体的な表現によって他者も見る事ができる。しかし、誰も真似ができないコトでもある。

  ものの文化財はその材質、加工方法やそれが造られた背景などを分析することや、古文書などによって研究する事ができる。無形の文化はその人が生きている間に継承をしていくことで絶やすことないように努力されている。

 どちらの場合でも、人というものがその文化の感じ方や心などを伝えていかなければいけないことである。文化は地理的な条件により、その国、地域に根ざす人の集団と共に継承され続いていく。

 文化を壊すことは、それまでの民族の歴史を壊すことと等しい。未来に責任を持つ行動をしたいならば、歴史的文化を大切にしないといけないのは自明なことであろう。そして、過去から引き継いだ背景や心を語り続ける必要がある。

 そのように思うのであるが、私には残念ながら語れる文化の知識が無い。文化に接することは、結構あるが、時間軸に体系的にその文化財たちを繋げて理解できていないのである。説明をお聞きしても、頭の中に記憶できないのである。これは、それぞれの文化財を個の財としてしか知識の獲得をしてこなかったのが要因である。いかに縦横に流れとしてものごとを理解することが大事であるかを物語っている。

  歴史研究家を集めると、一体、この国はどのような背景を経て文化が生まれ、継承し、変化してきているのかを体系化して説明を聴くことができただろうと思う。若い人は、そのような視点でこの国の歴史・文化を学ばれると興味が湧くのではないかと思う。知の集合化が必要だと思う。

  もっとあの人にいっぱい聴いておけばよかった。学んでおけば良かったと後悔することが多くある。ものづくりが盛んな国であるが、形式的な物にだけ着目していては、海外にドンドンと遅れることになるだろう。歴史上の文化財になるかも知れない物を作りたい。そのようなパラダイムチェンジを意識してものづくりをすべきだと思う。

  コトはもっと深刻な課題となってきている。どのような意味や意図をもってコトを成そうとするのか。文化として何を引き継ぎ、何を超えようとしているのか。それによって、どんな感動を与えようとしているのか。人が未来に向かって引き継いでくれるように、真剣にそのコトを研究し、表現をしようとしているだろうか。

  いろいろな分野、作風、芸風があるだろう。ものづくりのコトも同じである。日本はコトの継承が弱すぎるように思う。大事なのは物の前にある人の思いや考え方であるコトにある。文化においてもコトの知識の蓄積があると良い。そしてその知識人の知をインターネットで集合できると良いだろう。そしてコトの革新に挑戦して欲しいと思う。

インターネットから隔絶された環境に身をおくことのできる登山の良さ

登山の魅力は黙々と頂上を目指して登ることで得られる達成感と爽快感。日本百名山の写真集を見つけると、登ってみたくなる気になる。厳しい絶壁に張りついて、一歩一歩足を運ぶ無の境地。きっと下界の苦悩は考える余力もないだろう。何かに集中するとこのような心境になるものである。

 どんなことでも集中できることや物があると良い。日常生活のストレスを和らげる事ができるからだ。絵を描く、器を作る、本を読む、スポーツを観戦する、掃除をするなど何でも集中できることを見つけることを勧める。要するに忘れることができなければいけないと思う。今の時代はインプットが多すぎる。その多すぎる情報に漂わされているような気がする。

 インプットしたくもない情報を知らせれることは何とか無くせないものかと思う。だから山に登って無心になると気持ちが入れ替わるのではないだろうか。現代人はインターネット環境に染まり過ぎている気がする。私も完全にその世界に入り込んでしまったひとりである。

 インターネット環境から逃げる手段はと言えば、電波が届かない、電気の無い場所に行くしか無い。そうでもしなければ、ついスマホを手にしてしまうからである。ゲームをするのではなく、SNSに誰かが投稿していないだろうか、メールは来ていないだろうかという行為を毎日、何十回も行なっているのである。

 インターネットが無ければ、そのような過ごし方をしなくて済む。今、自分に欲しいのは、そのような環境である。それには、自分自身で努力して耐えなければならない。かえって耐える事がストレスになってしまうのである。もはや逃げ場のない状況になっていると思っている。

 仕事と仕事でない事の境目が無くなってしまったと言える。仕事のようにスマホを操作することと、遊びのようにスマホを操作することの区別をつけれない状態になっているのである。ある時仕事の関心に操作され、そのうちに遊びの関心に操作が移っている。このような事ができない場所として、登山がある。このような考え方は純粋な登山家にはおかしな動機に思われてしまうだろうが、インターネットから逃げるには登山が良いと思う。

 登山をするにも準備やルートの計画は必須である。そのような事に集中する期間も作れてくる。その間、少しでも目的の薄いネット検索は減らす事ができる。今日の生活は、いかに自分が集中できることを見つけられているかどうかでが大切であり、貴重な時間を有意義に過ごせているかを決める1つのパラメータになっている。

 このようにインターネットから隔絶された環境に身をおける場所を求めているのが、最近の自分であると認識している。外部の電波を遮断した場所が都市の中に作られても良いのではないかと思う。

音楽の連想性を参考に製造業のものづくり知識の検索に生かす

音楽は人をリラックスさせる。年末になると音楽の番組が増えてくるのが嬉しい。と言っても、最近の横文字なにがしのグループには全くついていけないが。筒美京平さんの特集は懐かしく、青春時代を思い出させてくれた。私もいつか自分で演奏したくて、50歳を越えて、エレキギターを5年習っていた事がある。これは長年の夢を会社を辞めたことで、自由な時間が持てるようになったから出来たこと。

 しかし、ここ10年は、仕事が多忙でギターも触らなくなってきた。どんなに忙しくてもギターを触っていた頃も続いたが、最近2年間は、それは無くなってしまった。ギター鑑賞だけで恥ずかしい。音楽というものは、心に余裕が無い時は聴くだけしか出来ない。心に余裕があれば演奏しようという気になるものだ。もちろん、音楽を生業にされている方は必死なのだと思う。筒美京平さんはヒットメーカー。ヒット曲を生み出す事に必死だった様に見えるが、それを成し遂げた事が本当に凄いと尊敬している。

 音楽を聴くと、その頃の思い出が脳裏に浮かぶ。この連想性は、どこからくるのだろう。知識の記録方式を考えているので、音楽もその観点から眺めている。連想性だけでなく、歌うこともできる。楽譜が頭に記録されているのではないがおおよそ歌えるのである。音の流れとして旋律が次々と出てくるからである。これは、ひとつのストーリー記憶である。

 全てを、そのもの通りに記憶することは困難である。しかし、歌い始めの部分だけ教えられると続きを歌えるという方法が価値がある。デジタルデータであっても、全てのデータを記録して、そのものから全部を検索するのではなく、先頭の旋律だけ記録させておけば良いという考え方もある。どんな用途のために検索をするかにもよるが、連想性を人の能力に依存する方法でも良いかもしれない。検索範囲を曲の頭だけでも良いだろう。

 ものごとを丸暗記しても活用はできない。それはすぐに忘れてしまう。連想性を持った検索と検索結果の表示が重要である。これはコンピュータがヒントを出してくる様な方法である。意味の記録ということをして、キーワードに頼らない見つけ方を発見したいと思っているのである。音楽もその様な方法で記録したいのである。

異なる知識経験の集まりでの相互理解の難しさについて

意図していることや思いは、述べられないことが多い。私達はなぜと聞くことが少ない様に思う。素直に相手の話を聴く姿勢が普通で、かえって、なぜと聴く時は、自分は賛成しないような時だけの気がする。これは私だけなのだろうか?逆に言うと私はなぜを説明しなければいけないことが多い集団に属して来なかったからだと思う。

 日本人の特質であるようなご意見も見受けられるが、私はこれまで家族と会社の2つの集団にしか属していなかった。その為に、特別な理由を求められることが少なく、私も理由を求めることが少なく、居心地の良い同等知識の中だけで生きてきたからだと思う。

 それが、会社を離れ、多くの他企業や公務員などの人達と接することになり、どうもこれまでの解釈では、お互いの意見が一致しているのか、一致していないのかが分からないことが多くなってきた。会社員であった時と今では、その違いを強く認識するようになった。そしてなぜを口にする機会が多くなってきたのである。

 社会にて労働の場が流動化し、企業への社員の出入りが多い企業では、なぜと聴くことが増えていると思う。都会は流動化しているが、田舎はそうはなっていない。流動化すれば他者や他社の知識を獲得することができる。流動化しない田舎との情報格差は広がるばかりだと思う。なぜと聴く機会が少ないのは問題だと思う。

インターネットがそれを補っているかと言えば、そうではない。インターネット上のどこに自分が関心を持つことの「なぜ」が載っているのかが分からない。その道のプロを探して、その方の周辺の意見も確認しながら自分なりの理解をする必要がある。このような手間のかかることを人はやらないだろう。私も大変面倒くさく時間を費やされるので好きではない。結局は書店で本を探すことになる。

 詰まるところ、自分が会うべき人をどのように見つけることができるかではないかである。いろいろな事を知っていて答えてくれる人を探す方法だ。これは企業の中でも、少なからず発生している問題点である。企業内のローカルネットワークの中で、知りたいことを教えてくれる人を見つける方法が有れば、それをインターネットに拡張すれば良い。しかし、企業の中でも上手く行われていないと思っている。

 知っている人を探すには、その人の思考や経験や語りなどが公開されている必要がある。それには、コミュニケーションが真摯に行われる場が必要だ。そこに参加する人達の動機も重要であり、何らかの統制にて平和な場であることを欲している。

デザイナーの発掘と育成に燃えた山本寛斎さん。製造業も同じく燃えよ。

芸術家だけではなく、小説家も、社会人も何かをやり遂げようとして努力を続けている人は、その道において、少なからず、このようなことを守り抜きたい、悟った、このようにありたいと言うような境地に至るものである。それは、幾多の試行錯誤を経て、年月を経て獲得することができることと思う。

 最初は、先生や指導者から育成指導され、失敗もして到達する自分だけの領域を発見するに至るのであろう。それには、情熱というものが必要であるが、これが継続しないので困る。

 先日、山本寛斎さんのドキュメンタリーをTVで見る機会があった。確か“苦しい時でも、道はある”といった題であったと思う。特別に服のデザイナーに興味を持っていたのではないが、その題に惹かれ見入ってしまった。

私は山本寛斎さんの生い立ちまでは知らなかった。とにかくガッツのある人だったと感心してしまう。スーパースターが苦労もなく、その位置に到達したのではないことで、尊敬の念が沸き起こったのは私だけではないだろうと思う。

 山本寛斎さんは若いデザイナーの発掘と育成に貢献していたことを初めて知った。とにかく尖って個性を大事に、屁古垂れることなく、必死になどの言葉にあるように、行動と思考が一致した方であったと感じた。

 翻ってみると、このような熱い方が、どんどんいなくなってしまっているように思う。経営者の中にも熱い方が本当に少ないのではないだろうか。自己を捨て身で、社員に対している人が少なくなっている。表層的な売上高や株価などに視点が移り、社会にどのように貢献しようとしているのかが伝わってこない。

 一度発言した方針を、いつか語らなくなっている。そのうち忘れてもらえるだろうと考えているならば、多いに反省して欲しいと思うのである。このようなことが、いつ頃から始まったのだろうかと思うと、インターネットが世の中に浸透し始めた2000年前後のように思える。あまりにも表層的なビジネスが乱立してきたように思う。特に人を介さず中抜きのような、ITインフラを競争に使っていることは残念でならない。

 そこには心や情熱が人に向けられていない。企業は社会貢献であるべきで、その結果として収益が入るのだと思う。社会貢献的な発言をしているが、実業は、単なる物売りやサービスでしかないことになっていないだろうか。このようなことも自由なのだから問題はない。

 しかし、それでは、人の社会は崩れていくのではないかと心配している。境地と言うと、それは個人が至る心かも知れないが、長く企業に勤める社員が、何らかの境地を獲得することなく過ごすことは多いにもったいない生き方ではないかと思うのである。境地の事例が公開され、企業人のマインドを見聞きする機会がもっとあると安心することができるかも知れないと思う。

 山本寛斎さんの活動は、デザインされた服と日本元気プロジェクトに明確に記録された。そのプロセスを一緒に携わった人達の心にも、しっかりと刻まれている。このような境地の記録が動画と語りでの紹介は大変分かりやすかった。